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2009/09/10

【観たどー】映画『サマーウォーズ』

(KDMはネタバレを基本的に気にしておらず、何を以てネタバレとするのか正直わかりません。ですので、気になる人はスルーして。)


竹内まりやもはじめてアニメで泣いたと言っていた(たまたま聴いてたラジオで)『サマーウオーズ』観て来ました!


描かれているテーマは言ってしまえば「家族はいいもんだ。」「男子たるもの一芸くらい持て。」というお話。そして展開は、事件が連鎖して世界を揺るがし少年少女がそれを救うという、これまたシンプル極まるもの。

それだけに諸々の突っ込みポイントを蹴散らして観劇中・観劇後の爽快感獲得に向けて一気呵成に突き進みます。良い作品です。


これ、例えばほぼ同様のプロットで舞台を学校に移し替えて、いくつかのポイントを改変すれば「典型的な深夜のオタク向け萌えアニメ」になるかもしれません。

しかし『サマーウォーズ』はオタク層以外にアピール・・・というよりもオタクを含めたすべての人々に対してオープンであるための仕掛けがいくつか設定されていて、それが作りこまれた映像の楽しさや爽快感と相俟って何度も見返したくなる作品に仕上がってます。
(親類縁者大集合のレイアウトのせいもあり、単位時間辺りの「動き」の情報量はアニメにしては結構多いため、もしかしたら二度三度観て慣れたときの方がより感動出来るかもしれない・・・。)


「オープンであるための仕掛け」は、たとえば声優陣のチョイスやキャラクタデザイン、OZ及びアバターのデザイン、テーマ曲など多くの細部に見られますが、KDMが注目したのは大きくふたつです。


ひとつは「血縁」にフォーカスし、更に世代と社会性の広がり(職業と年齢と居住地)を持たせた点。

いくら情報化社会だポストモダンだといっても「血」というものを数値化して演算処理出来るようになるわけではありません。

家族というのはそういう意味でオタク云々を問わず普遍性のある視点です。
(KDMなんかは田舎育ちなので、この映画の画面はリアルで他人事ではありませんでした(笑)うちのお盆じゃん的な。)

しかも家族の物語といったときの多くは、おそらく製作コストと脚本の情報量に起因する問題で、核家族へフォーカスするか、主人公遷移型の大河ドラマになりがちです。

対して『サマーウォーズ』では親類縁者集合のごっちゃごちゃした画面と脚本に挑んでいるのが偉い。これは大変な作業だったはずですマジで。結果としても各キャラクタの存在感をひとりひとり描き得ていると思います。


もうひとつ注目すべきは、身近な事件と世界を揺るがす危機とが政治や社会を通り越して直結してしまう、いわゆるセカイ系的構造について、ある種の発展的解消を目指している点です。

最近読んでいた本の内容ともいくつか符号して、おおこりゃ、セカイ系ってこういう変奏の可能性があったんだなぁと感心して観ました。


基本的にオタク的セカイ系作品の多くは身近な出来事と世界の存亡が直結してしまいます。

そこではコミュニカティブなリアリティ(=オタク間で流通するお約束)が物語を支配します。

幼馴染の美少女の精神状態が地球的な環境問題や物理法則とリンクしたりして、オタクの外側から見ればどう見ても変な世界観なのに、なんか知らんがとにかくそうなっちゃうわけです。

それに対して『サマーウォーズ』では、卑近のあれこれと世界の存亡との間に、政治や軍事といった社会性の代わりに情報技術、とりわけユビキタスなシステムを介在させて物語上のリアリティを確保しています。

ここでのユビキタスとは「手軽なインタフェースを持ち、日常的に意識させないほどに世界に浸透した、遍在するネットワーク技術」程度の意味です。


劇中登場するOZという仮想現実は強力な暗号化技術を持ち、現実社会の情報インフラが一元化されているネットワークであります。

そのアカウント(個人情報)を用いれば、現実社会とまったく同じようにものの売買や仕事が出来るし、官公庁を含め各種手続きなども可能です。

OZとは、アニメ向けに過剰な戯画表現がなされていてつい忘れがちですが、現今のインターネットよりも徹底したユビキタス社会のインフラなのです。


ということは同時に、そこにログイン出来るOZアカウントとは不可視な実印や身分証明書やIDカードを身に付けている個人そのものでもあるということです。


これは言い換えれば、OZアカウントを持つ個人は

「地理的時間的な制約が多いがアナログな身体を持つ現実世界(近い世界)の個人」

でもあり、

「デジタルな記号に過ぎないが地理的時間的制約を超えて世界中にリンク出来る電脳世界(遠い世界)の個人」

でもあるという、二重化された存在になることを意味します。


それゆえに仮想現実でアカウントを奪われた主人公には、すぐさま現実社会での悪影響が発生するし、ラブマシーンが真に驚異なのは「自分が自分のまま、自分の意志から離れて行動してしまう」という恐るべき事態を引き起こす点にあります。


ユビキタスとアカウント。すなわち情報技術に支えられた高度なネットワークとそこへ流れ込む個人情報。

このふたつの要素こそ、セカイ系を変奏させるキーです。


『サマーウォーズ』でも、従来のセカイ系と同様、高校生男女の恋愛や家族のゴタゴタといった卑近な出来事と世界そのものを揺るがすような遠く離れた出来事とが繋がっています。

しかしそれはセカイ系的お約束による短絡でも、はたまた社会性の獲得という近代的止揚でもなく、情報技術という地平において繋がっているのです。

そこでは、かつて漠然と「セカイ」と呼ばれていたものがユビキタス社会として技術的に具現化され、セカイと無理やり短絡させられていたボクやキミは、アカウントという電子化された個人情報を介してセカイと直接関係を結ぶようになったわけです。

そして情報技術という地平で、卑近で小さな物語とシームレスに語られてしまう「世界の存亡」とは、人為的・偶発的を問わず、劇中のラブマシーンの如きシステムのバグや誤作動として捉え直されることとなるでしょう。


簡単にまとめてみますと、

≪近代的な物語≫
身近な出来事に出会う個人
  |
(結構大変)
  ↓
社会的な出来事に繋がる個人
  |
(かなり大変)
  ↓
世界を揺るがす一大事


≪セカイ系物語≫
身近な出来事に出会う個人
  |
(短絡)
  ↓
世界を揺るがす一大事


≪サマーウォーズで採用された物語≫
身近な出来事に出会う個人
  ∥
(個人認証)
  ∥
ユビキタスシステム(≒セカイ)に繋がる個人
  |
(直結)
  ↓
世界を揺るがす一大事(≒システムの想定外の稼働。バグ。)


みたいな感じになりますかね(用語があまり統一出来てませんが・・・)。


現在のインターネットは、OZほど日常生活を包括的に統合出来るシステムではありませんが、技術的に近似のものはすでに実現可能です。

『サマーウォーズ』におけるOZの価値については、ネット犯罪とかゲーム感覚とかいうネット批判話とも、サイバーパンクのようなSFファンタジーとも異なる肌触りを持っており、一方的な批判も一方的な称賛も出来ない位置付けになっています。

というより、00年代末に生きる我々がOZをそのような曖昧なものとして捉えてしまうのは、危険性と利便性、リスク&ベネフィットなどといったネット環境に対する両義的な現実感覚の反映であるといえるでしょう。


「天然入った美少女とウジウジして頼りないが数学的才能だけはある少年が、家族や友人の力を借りつつ世界の存亡をかけて戦う」というアニメ的で荒唐無稽な物語であるにも関わらずオープンな説得力を持つのは、プロットそのものが現代社会に暮らすすべての人々に通低する問題系を含むからだと考えます。

花札勝負の場面における<連帯>が感動的なのは、その傍証であるかもしれません。

アカウントを差し出す群集がナツキを応援する、ハッピーな革命運動のような高揚感の中、観ている我々もそこに感情移入をせずにはいられません。

「なんなら俺のIPアドレスも使ってつかーさい!!」 (T∀T)⊃個人情報

みたいに。


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