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2018/07/21

【CD聴くべ】新しいインヴェンション(ロルフ・リスレヴァン)

少し前まで、ダウランドの「ラクリメ」及び「あふれよわが涙」のマイフェイバリット探しをしていたのですが、NMLでいろいろ探した結果辿り着いたのがロルフ・リスレヴァン&ノルウェー・バロック管弦楽団盤でした。

似たような主題の似たような曲調が続く一枚ですが、しっとりと進みつつ最終15トラック目の全体合奏による「あふれよわが涙」が始まると、いよいよ感極まって溢れ出る感じがあり、聴くたびにぐっときてしまいます。


ロルフ・リスレヴァンは、ノルウェー出身のリュート・ギター奏者で、ジョルディ・サヴァールのエスペリオンXXに長年参加していた経歴の持ち主。リーダーアルバムもECM等からいくつか出ています。

そんな彼の最新作「Nuove Invenzioni(新しいインヴェンション)」が今年(2018年)、SONYから発売となりました。

ロルフ・リスレヴァン&コンチェルト・ステラ・マトゥティナ
『ヌオーヴェ・インヴェンツィオーネ』
● パヴェル・ヨセフ・ヴェイヴァノフスキー[1633?-1693]:『イントラーダ』
● ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル[1685-1759]:『永遠の光の源』
● ジョヴァンニ・パオロ・フォスカリーニ[1600?-1647]:『パッセ・メッツォとパッサカリア』
● フロリアン・キング[1947-2003]:『ツヴァイテット』
● ジョヴァンニ・パオロ・フォスカリーニ:『フェレッティのタステッジアータ』
● フランチェスコ・ダ・ミラノ[1497-1543]:『ラ・スパーニャ』~ トーマス・スタンコ[1942-]:『サスペンデッド・ヴァリエーションズ』
● ジローラモ・フレスコバルディ[1583-1643]:『パッサカリアによるアリア』
● 作者不詳:『Por que llorax blanca nina?』
● フィリップ・ヤコプ・リットラー[1637?-1690?]:『チャッコーナ』

ロルフ・リスレヴァン(リュート、テオルボ、バロック・ギター)
コンチェルト・ステラ・マトゥティナ

録音時期:2018年1月24-28日
録音場所:オーストリア、ホーエネムス、マルクス・シティックス・ザール
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

リリース情報をキャッチして以来HMVのサイトを時折チェックしていたのですが、録音風景の写真が載っておりまして佐藤二郎ばりに数度見。

「ド、ドラムセットがおる」

よくよく見ればバスドラが古楽器風の太鼓だったりして完全に今様のセットではないですが、なんとダブルベース、ドラム、トランペット(古楽器持ち替え)のジャズ・インプロヴィゼーションのチームを含むアンサンブルになってます。

興味が沸々と沸いてさっそく情報収集。

なにこれカッコイイ(トゥクン…)、ということで早速購入。

(クラシック畑の演奏家たちでもジャズっぽく聴こえるように編曲された、カプースチン方式による)クラシックのクロスオーバーのイージーな感じではなく、当世欧州ジャズのエッセンスががっつり入っています。

Dr、Bass、Tpのピアノレストリオが古楽アンサンブルの中に急に現れる感じ、何度聴いても「ふおおおっ(紅潮)」となります。ジャズのダブルベースが物凄く効いています。

調べてみるとダブルベースとドラム・Perc、トランペットのメンバーは完全にジャズの訓練を受けている人たち。

ジャズだから良い悪い問題といった話ではなくて、演奏家としてのバックグラウンド、専門性の拠って立つところの違い、というのが音の対比としてしっかり現れている、ということです。

古楽とジャズの次元が捻じれて交わる。音の異世界転生ファンタジー。




古楽プロパでなく「ジャズ>古楽」嗜好の私からすれば、最高に気持ちいいナイスアルバム。

古典派以降が興味の中心だと、結構なクラヲタであっても古楽のアルバム一枚聴き通すのは意外と難儀だったりしますが、クリスティーナ・プルハル&ラルペッジャータのラテンアルバムと併せて、ヌル古楽ファンのマストアイテムとして熱くお薦めです(温度感)。




2018/06/10

【CD聴くべ】ブラームス ピアノ協奏曲第2番(モラヴェッツ&ビエロフラーヴェク盤)

良いCD(=自分にとってしっくり来る音盤)を探して久しい曲の一つが、ブラームスのピアノ協奏曲第2番。

第1番の演奏が気に入っているハーディング指揮スウェーデン放送交響楽団&ポール・ルイスには期待大ですが、いまのところ2番が出る気配がありません。あとは、アンスネスがセッションで録音してくれたら良いなーと思っています。

まぁその辺は将来の楽しみということで、現時点で一番聴いているのはなんだかんだでこれ。




ブラームス:
● ピアノ協奏曲第1番ニ短調 op.15
● ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op.83

 イヴァン・モラヴェツ(ピアノ)
 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
 イエジ・ビエロフラーヴェク(指揮)

 録音時期:1988年9月(第2番)、1989年10月(第1番)
 録音場所:プラハ、ルドルフィヌム
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

モラヴェッツ&ビエロフラーヴェク指揮チェコフィル盤。

ちなみに国内盤のCREST1000で出てた奴はなんとなく音が気に入らず(CREST1000は同様の例が多い…)、輸入盤で買いました。

国内盤のジャケ写から連想されるような大時代的な演奏ではなく、かなりモダンな演奏に仕上がっています。

派手ではなく、そんなに特殊な解釈があるというわけでもなく、しかしどこをとっても食い足りなさがない。燻し銀丸出し。流石です。

響きが分厚いせいで各楽器の動機がピシッと聴こえないブラームス演奏はすぐに飽きがきてしまうというのが私の経験則(というか相性というか)なのですが、その点オケもフォルムがピシッと決まっていて最高。やる気過剰でガッツガツ演奏されてる録音と比較すると室内楽団みたいにさえ聴こえる演奏です。

こういう演奏で聴くと、チェコフィルの音色の美しさが光ります。

曲冒頭のホルンソロ(名手ティルシャルでしょうか)だけでも異様な美しさ。まるで電子的な変調でも掛けているんじゃかろうかと思わせてしまうほどに他とは隔絶した世界です。

ついついこのCDを手に取ってしまう理由のひとつはこのホルンソロにあると言っても過言ではないかもしれません。

にしても、モラヴェッツもビエロフラーヴェクもこの数年で他界してしまいました。素晴らしい演奏を残して頂いて感謝。合掌。



2018/04/30

【CD聴くべ】プロコフィエフ『ロメオとジュリエット』全曲(V・ペトレンコ盤)

ちょっと情報収集対象から遠ざかっていたV・ペトレンコ熱が最近再燃。

遠ざかっていた理由は最近彼が関わっているONYX、EMIレーベルの録音。どちらも正直問題が多い(痩せてたり遠かったり編集甘かったりで)ため、積極的に追う気力が沸かなかったのです。

それがガラッと変わったのはLawoレーベルから出たプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」全曲を聴いてから。


プロコフィエフ:バレエ音楽『ロメオとジュリエット』 Op.64

 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
 ワシリー・ペトレンコ(指揮)

 録音時期:2015年11月2-6日
 録音場所:オスロ・コンサート・ホール
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


オケはロイヤル・リヴァプール・フィルではなくオスロ・フィルですが、これがまた凄い演奏で、ワシリーに再注目させられてしまったのです。


ジュリエットの無邪気さ、若さゆえに抑えきれない思慕の念、ふたつの家の緊張と流血、悲恋…。物語も一本道で分かり易い上に音楽が極上で、長丁場にも関わらずついついジーンと来てしまうプロコのロメジュリ。自分も大好物。


しかしV・ペトレンコの演奏は、どこを取ってもキンキンに冷えていて、甘さがまったくない超ソリッドなもの。

物語に棹さして感情を揺り動かすような演出が「まったくない」演奏で、フレーズの膨らみが感じられない直截な響きに貫かれています。

どこを取っても無窮動で貫かれる透徹したリズム。テンポは速目一辺倒ではなく、たまにグッと手綱を締めつつBPMを落とすのが超クール。

「ロメジュリって、厳冬のレニングラードが舞台だったよね確か」

と素で幻視してしまえるほどに極寒でカッチンコッチン。マーキュシオやタイボルトの吹き出す血もあっという間に凍りつきそう。


聴いていて「いや、これ、最早ムラヴィンスキーじゃないの?!」と思えてきます。

V・ペトレンコは活躍が伝えられはじめたのが30代前半でしかも爽やかなルックスだったし、CD帯にある「スタイリッシュ」さを聴き取ろうとしてしまっていましたが、それは間違いでした。

このロメジュリ聴いて以来「ジェントル&クール過ぎて最早暴力」というムラヴィンスキーの音楽性を継ぐ者として認識を新たにしたのです。

「新世紀ムラヴィンスキー」として彼の音楽を聴き直してみると、随所にその片鱗を感じられ、すっかり夢中になってしまったというわけです。

よく考えてみれば、どこか芋っぽいロイヤル・リヴァプール・フィルを、あそこまでソリッドな響きに搾り上げた手腕を見ても、ワシリーはスタイリッシュ枠ではなく鬼軍曹枠だったのでは…と。

そうしてNAXOSのショスタコーヴィッチ録音などを聴き返すと、テンポ感や音色など、以前はしっくり来なかった細部も「そういうことだったのか…」と染みてくるようになりました。

チャイコフスキー、ストラヴィンスキーと注目の録音をどんどん行っているOnyxレーベル分も、毛嫌いせずに聴いてみたくなってきました。こういう芸風であれば、比較的痩せた録音でもなんとかなるはず。きっと。


2018/03/18

【CD聴くべ】ブライデン・トムソン賛

大酒飲みだったらしく60そこそこで(指揮者としては)早過ぎる死を迎えたトムソン。

彼の演奏はなんとも言えず、良い。地味だけど誰より熱い。

彼の棒ならなんでも聴いてみたくなるし、ヴォーン・ウィリアムズの一部作品のようにやや冗長というか少々ダサい曲想にも、何故か説得力を持たせてしまう。

youtubeに残された少ない映像を観ると、なんとなくその秘密がわかるような気もします。

感情表現はけしてオーバではなく、激昂したりしない。それでいて斜に構えたところがなく、低回にも陶酔にも陥らずにしっかりと真正面から愛を語るようです。

「言わなくてもわかるでしょ!ここは雰囲気で!勢いで!察して!」という部分は皆無。言いたいこと・言うべきことはキッチリと言わねばならぬ、という感じの棒。

それでいて伊達やヒューモアを忘れないキャラクタ。チャイ5最中のウィンク(6:25頃)のカッコよさといったらない。


そんな、魅力的過ぎる酔いどれトムソンの作る音楽は、ザッツやリズムを切り進めるより音をしっかり置いていくようなマイルドな感触。独特な温かい響きがします。それでいて管楽器の強奏は結構マッシブ。

その分やや腰が重いところがあって、テンポを動かそうとしてもいまいちビビッドに反応しないし、演奏者がノッて来て自然とテンポを上げたい箇所ではむしろ手綱を締める印象が強いです(感覚的にはテンポが遅くなっていくよいうにさえ感じられる)。

トムソンの録音を聴き始めた当初は、この演奏でブルックナーなんかあったら面白いかも、と思っていましたが、しかし彼の音源を追っていくうちに、そうではなく、俗な意味で曲が甘ければ甘いほど、香り立つような煌めきを感じられるように思えてきました。

アイルランド・スコットランド・イングランドの音楽はそんなトムソンにぴったり。

確かに余程のクラオタでも、相性が良くなければアイアランド、ハーティ、バックス、レイトン、バターワース、スタンフォードといった渋いところをまとめて聴くのは難しいでしょう(私は正直難しい。個人的にはウォルトンでさえちょっちきつい…)。

しかし有名どころだけ摘まんでみても、涙なくして聴けないRVW管弦楽作品やエルガーの名演があります。

エルガーの交響曲など1番、2番ともに類を見ないほど遅いテンポでうっとりしたまま卒倒しそうになりますが、トムソンの主観上ナチュラルであることが伝わってくるというか、こだわりは感じさせても、外連味は一切感じさせません。

ネットには、弟子筋にあたるダグラス・ボストックが「(遅いテンポは)いつも酔っ払って指揮していたからだ」と笑ったインタビューの記録もありますが、酔わせてもらってるのは聴き手の方だよ、と言いたい。最高。


交響曲にコケイン、エニグマ辺りの定番に加え、海の絵、ミュージックメイカーズの録音が残っていることに感謝を禁じえません。サンキューCHANDOS。

トムソンが今少し長命であればどれだけ美しい「ゲロンティアスの夢」が聴けただろうか…などと夢想するのも一興です。

補記。

入手が難しいですが、ニールセンとマルティヌーの交響曲全集は、トムソンの剛毅な部分が出た名演。こちらも折に触れて再発されて欲しいものです。

そして珠玉といえるラフマニノフのピアノ協奏曲全集!これもカタログに常駐されて然るべき逸品と言えるでしょう。



2018/02/11

【CD聴くべ】さよならポニーテール「夢みる惑星」

絶対に会いに行けない非実在のアイドル。さよならポニーテールは徹底している。



4thアルバム「夢みる惑星」は、特定の「神様」(イラストレーター)によるビジュアルが終わり、固有の顔・象徴さえ喪ったさよポニの奥の院。

あらかじめ終わっている物語ゆえに、夢や偽りの記憶にこそ色彩が溢れ、リアルに最も現実感がないというモチーフがついに前面に出てきました。

これは、多くのファンが予感している「終わりの始まり」と受け取ることも確かに可能ですが、私はむしろ永久に続くことさえ可能なプラットホームになったと感じられます。



プロデューサーのクロネコ氏はSNSで「概念化」という表現を使っていましたが、さよポニの5人がキャラとして「自立」したとも言えます。

実在の主体・人格と異なり、固有名と、それから髪型や色などの微かな徴だけでそれと同定される不思議な存在に「なる」こと。

そこでは声すら必ずしも同一性を担保するとは限らない。

あゆみんの「卒業」後、新メンバーではなく2代目あゆみんとなった時点で既に兆候はあったというわけです。



そもそもさよポニは青春を歌うが、非実在の、身体性も時間性もない「少女(?)」たちの青春とは一体何なのか。

どこにも存在しない空っぽの青春であるが故に、どんな聴き手の記憶にも憑依してしまう彼女(?)らの時間。非実在は偏在する…。

その効果は、具体的には時間感覚の麻痺、時間性の逸脱として、聴き手に憑依するというのが、私の見立てです。



4thアルバム発表時点ですでに5thアルバム「君は僕の宇宙」が予見されていましたが、5thアルバムに先立つ「遠い日の花火」「センチメンタル」「青春ノスタルジア」のリリースラッシュは、ここでいう「概念化(キャラ化)」と「時間性の逸脱(憑依)」を裏付けるような形態で行われました。

まず、出てくるたびに図像が異なる(=神様(イラストレーター)が異なる)。

おそらく今後も様々な見た目の5人が登場するに違いありませんが、それでもファンは、わずかな徴から、さよポニの5人であることを認識し、親しげに固有名で呼び掛けるに違いありません。



そして何より、時間性の逸脱。

リリースラッシュの発売形態はmp3配信、LP、8cmの短冊形シングルCD。まるで彼女(?)らの青春が過去数十年すべてに存在していたかのような。

個人的には8cmSCDを開封したときの手触りやプラスチックの質感に、自分でもちょっと驚くくらいに強烈な郷愁を感じましたが、こうしてさよポニは40手前のおじさんの記憶にも憑依したのです。

一言でいえば「古今のポップカルチャーへのオマージュ」であるさよならポニーテールの音楽性が、「概念化」「憑依」の特徴をより強調しているのは言うまでもありません。



もっとも、こんな「読解」など全部没交渉にしても、さよならポニーテールの音楽は最高としか言いようがないのです。

そんな曲を前にすると、語るべきことが尽きないような気も、おじさんはただ黙して聴くのみという気もするのですが、とにかく何か言いようのない「切なさ」が去来します。

「切なさ」にうっとりしつつ、おっさんとしての自我を保つために概念化・時間性の逸脱とか言ってみずにいられない…。

それほどまでにさよポニは自分に憑依してしまっているのかもしれません。



いずれにせよ、4thアルバム「夢みる惑星」は言いようのない「切なさ」の度合いが、これまでのさよポニと比して物凄く強い。

最初から最後まで名曲揃いの名盤だし、パッと聴いた感じはポップでもあり、軽くBGMで聴いても良い感じのアルバムです。

しかし、自分の中の何かが、とにかく環境が許す限りの、耳が壊れるギリギリの爆音でこれを再生しろ、と囁くのです。

ほかのさよポニのアルバムではそういうことは感じなかった。

「とにかく爆音推奨」という囁きがどのような音響的・音楽的特徴に起因するのか、ずっと自分の中でクリアになっていませんでしたが(いまも正直なっていませんが)、とにかく「切なさ」を喚起する何か(概念化と憑依の極?)、から要請されるのではないか、と思われてなりません。




収録曲は

1.虹
2.パジャマの神さま
3.放課後てれぽ~と
4.フローティング・シティ
5.さよなら夏の少年
6.一瞬と永遠と
7.ごめんね、わがまま言って
8.恋するAI
9.まわるあのコ
10.わ~るど2
11.さいごのやさしさ
12.円盤ゆ~とぴあ

こうして曲名を眺めているだけで、私は既に切ない。

このうち、「放課後てれぽ~と」は切なさから切り離して単独で楽しく聴けるキラーチューン。

MVも公開されていますが、これがまた滅茶苦茶面白い。

これ、VRですが普通のスマホで見られます。数年後にはみんな真似してるんじゃないかと思います。




週明けには5thアルバム「君は僕の宇宙」が発売されます。

1秒でも早く手にしたい。聴きまくりたい。いまはただそれだけ。


2018/01/21

【CD聴くべ】マーラー交響曲第5番(グザヴィエ・ロト盤)

マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)

2017年2月20-22日
ケルン、シュトールベルク街スタジオ


同じケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団が、マルクス・シュテンツ指揮でOHEMSレーベルに残したマーラー録音とはまったくの別物の響き。

ある種異様なまでの見通しの良さ。それでいて薄味になった感じが全然しない。

シュテンツは言うに及ばず、ほかの演奏とは視座がまったく違うように感じられて仕方ありません。

これまでの演奏が布をパーッと広げて「さぁどう仕立てようか」と腕を振るっていたのに対し、あたかも生糸から紡ぎ出しているような感触。

予め編まれた生地の柄の美しさや鮮やかさで勝負するのではなく、生糸の束が光を反射して輝くニュアンスを見せられているような…。

それほどまでに見えているスケールが違う。



このような、視座がこれまでと異なり過ぎる名演奏を前にすると、たとえば私小説的物語性とか精神性のようなマーラーを語る際の常套句たちが途端に宙に浮き始めます。

比較の対象としてレベル感のアンマッチにより、批評の言葉が陳腐化してしまうのです。これぞ再生芸術の面白さ。

これまでの価値観に押し込めようとすれば「あっさり味」「すっきり系」としか言い表せないかもしれない。

しかしこの演奏・録音がそんな単純な水準にないことは、同曲異演を楽しむ好事家であれば聴き進めるごとに分かるはずです。



ほんとロトの耳、棒は一体どうなっているのでしょう。

どこをとっても演奏に「力こぶや浮き出る血管」感がないのですが、しかし、各パート・演奏者が出している音をつぶさに追えば、実際のキャラクタはシュテンツやキタエンコのマッシヴな指揮(しかもマッチョなOHEMS録音で強調済)で聴かせた重量感のある馬力の強い音であることにも気づかされます。

それをここまで細密な全体像に仕上げるロトの手腕は、まさにマジカル。

とりわけ弦楽器群の精密な処理は一点一画をも疎かにさせないぞ、という凄みがあります。

響き自体はノンビブラートを多用したすっきりしたものにも関わらず、精確なリズム、重なり合う音響のレイヤーなど情報量が多い。

ヘンスラーに録った巨人(ただしオケはSWR南西ドイツ放送交響楽団。合併前)も同傾向の名演でしたが、今回の方がよりびっくりしました。

曲調の差異もあるでしょうし、なによりケルン・ギュルツェニヒ管がこんな繊細に鳴るとは正直想像していなかったからです。



個人的に、マーラーやリヒャルト・シュトラウスにはすっかり食傷を感じるようになった今日この頃でしたが、ロトの新譜はどれもシックリ来ます。

聴くたび、いま自分の耳が欲している後期ロマン派はこういう響きだったのか、とかえって驚かされている始末…。



それに、いま最も信頼のおけるレーベルのひとつであるハルモニアムンディと契約出来たのも大きい。

ハーディング&スウェーデン放送交響楽団もマーラー録音も超楽しみですが、ロトのマーラー続編にも期待が膨らみます。もっこり。



2018/01/07

【CD聴くべ】武満徹管弦楽作品集(山田和樹盤)

武満 徹:
1. オリオンとプレアデス
2. 夢の時
3. 系図 - 若い人たちのための音楽詩 -
4. ア・ストリング・アラウンド・オータム
5. ノスタルジア - アンドレイ・タルコフスキーの追憶に -
6. 星・島(スター・アイル)
7. 弦楽のためのレクィエム

 菊地知也(ソロ・チェロ:1)
 上白石 萌歌(ナレーター:3)
 大田智美(アコーディオン:3)
 赤坂智子(ソロ・ヴィオラ:4)
 扇谷泰朋(ソロ・ヴァイオリン:5)
 日本フィルハーモニー交響楽団
 山田和樹(指揮)


武満徹は自身が単なる職業作曲家に留まらないアイコンであり、文筆やポートレイト、為人含めた総体が鑑賞の対象となっている側面があります。

そのせいか、生前親交のあった音楽家たちによる演奏がどうしても強いオーセンティシティを持っております。

大手レコード会社がそれらを繰り返し再発するのは至極当然なわけですが、そうした状況が武満徹作品の「クラシック化」を妨げているとも言えます。

「クラシック化」とはすなわちテクスト(=スコア)しかないことによる複数化。エクリチュールの効果。数多くの解釈が解き放たれることで「原典」が一義的なテクスト以上の、ほとんど制御不能な「深み」を遡及的に獲得すること。

再現芸術の豊穣はそこから生まれます。

世のクラシックファンがなんとなく識別している「現代音楽扱い」と「クラシック扱い」との差異は、極論すれば複数の録音・複数の演奏へのアクセス可否だけが理由である、と言っても過言ではありません。

聴き易さとかははっきりいって関係がない。それは慣れと聴き手の偏屈な権力意識の別名でしかないのですから。




そうした文脈でいえば、山田和樹&日本フィルによる武満徹管弦楽曲集は、武満徹本人との直接的な親交がない世代の指揮者によるまとまった録音として、武満の「クラシック化」の嚆矢となるものと言えましょう。

「まずスコアが、スコアだけがある」ということの自由さ、のようなものを感じずにおれません。

もっとも、小澤征爾・岩城宏之・若杉弘といったレジェンドたちの録音同様、日本のオケのかっちりしたアンサンブルと細くて金属的な音色が、武満作品には合っているなとも思います。ともすればソフィスティケイトされ過ぎてしまう後期武満徹作品も、良い具合の先鋭さで聴かせます。

(マーラーやブルックナーでは物足りなさにも繋がるそうした傾向も、武満演奏に関してはシックリ来てしまう辺り、もしかしたら演奏家よりも聴き手の耳の方がまだ「クラシック化」されていないのかもしれません。)

そこへ加えて、90年代に盛んに演奏・録音されていた頃よりもオケ全体のテクニックはやはり上がっており、ある種の余裕のようなものが「自由さ」を感じる一因でしょうか。

もともと前衛色の薄い「系図」や「ア・ストリング・アラウンド・オータム」ですが、そうは言ってもこれまでの演奏・録音ではやはりどこかギスギスした感触があったものですが、この録音ではまさに「クラシック側」の響きがします。やはり演奏者のテクニックが上がったことと無関係ではないように思えます。

無論、マエストロ・ヤマカズの解釈の確かさがあっての成果であることは言うまでもありません。



収録曲は「弦楽のためのレクイエム」を除くと後期作品が多いですが、マーラー全曲演奏というそれだけでもキツい仕事と並行していたことを思えば、その偏りも致し方ないところではあります。

EXTONのような特定レパートリーにしか興味のないキャラクタのレーベルに多くを望むのは筋違いかもしれませんが続編をお願いしたいところ。

是非60~70年代の作品も取り上げて欲しいです。てゆうか、DENONでプロジェクトを継続してくれないかな…。

とくに「ノヴェンバー・ステップス」、「アステリズム」、「地平線のドーリア」という、小澤征爾&トロントso盤という巨大な壁のある作品群。

これらのより若くより新しい録音による超克が「武満のクラシック化」には不可欠だと私は思っております。

「若手」と呼ばれる演奏家たちに是非トライして頂きたいテーマです。



それにしても、山田和樹さんの活躍は目が離せません。

今度SONYからブラームスのピアノ協奏曲全集の録音が出る模様。

オケはベルリン放送交響楽団。これはほんとに楽しみです。




2018/01/05

【CD聴くべ】ストラヴィンスキー「春の祭典」(バッティストーニ盤)

2017年に出た「春の祭典」はバッティストーニの最高傑作。

毎年のように名演・名録音が生み出されるハルサイですが、綺羅星の如きスター指揮者・一流オケの録音とも十分渡り合える特徴を持った名演・名録音だと思います。


バッティストーニの表現意欲はけして恣意的には感じられません。テンポ感自体オーソドックスで、変な揺らしはほとんどないですし、心臓が飛び出るようなバカげた音量で迫力を出しているような音でもありません。
(実演ではかなりの大音響だった、という評も目にしましたが、録音上聴く限りはそのようなことはありません。)

むしろ感じるのは楽器間バランスの絶妙さ。

若者がスコアを「こんなリズムもある!」「こんな響きもある!」「ここでこんなパートがあんなことを!」と発見していくような新鮮さを感じます。

「春のきざしと乙女たちの踊り」の弦、「祖先の召還」のティンパニ、「生贄の踊り」のトロンボーンや終結部分の弦。聴きどころが非常に多い。



そのような印象を助長するのが、オケと録音。

アンサンブルが整ったよく言えばシャープな、悪く言えば豊饒さや余裕のないピーキーな東フィルの響き。

ややもすればまとまり過ぎてやせ細って聴こえがちで、マーラーやベートーヴェンではその悪い面が出ちゃっていると思ったこともしばしばでした。

しかし、今回シャープさが「春の祭典」においてまったく欠点になっていません。それどこから、過剰なまでに細部を抉るバッティストーニの仕掛けをクッキリ映し出す効果を生んでいます。

加えてDENONの録音が相変わらずクリアでお見事。

曲と指揮者の解釈とオケと録音のキャラクタがぴったり一致しています。

これを私の場合モニター型丸出しのヘッドフォンで聴くわけですから、解像度の鬼みたいな音で聴こえてきます。物凄く刺激的な音響体験です。



併録の「ウェストサイドストーリー」はハルサイほどに刺激的な音響ではないですが、はじめて振る曲だったというバッティストーニの楽曲把握のセンスの良さみたいなものがビンビンに伝わってきます。

単純にメロディとその伴奏、みたいな一番眠たくなる解釈には陥らず「この響き、この動機を鳴らし切ることで曲が活きる」みたいなポイントをほとんど本能的に掴んでいるような生気に満ちています。

バッティストーニと東フィルの比較的初期のコラボレーション(確かマーラー「巨人」の前半のプログラムだったと記憶しています)ですが、ライヴで聴いた人たちが「凄い才能の指揮者が現れた!」と驚いたのも、こうしたセンスの良さ故ではないかと思います。



今回のハルサイは、個人的にはローマ三部作を聴いたときの感動を新たにしました。バッティストーニ&東フィルの録音プロジェクトは、しばらくこの近現代路線を続けて欲しいものです。

ロマン派や独墺物はもうちょっと響くオケの方がいいかな…と。

既発録音で言っても、チャイコフスキーとラフマニノフは東フィルで、ベートーヴェンやマーラーをこそRAI国立交響楽団で録音すればもっと面白いものが出来たかもしれない、と思えてきます。
(ラフマニノフも、東フィルとのライヴだった「パガニーニの主題による狂詩曲」の方がずっと良かった…。)

何度も同じこと言ってますが、東フィルと「シバの女王ベルキス」をセッションで残して欲しい。






さて、「春の祭典」は毎年のように注目盤・名演名録音が登場し、しかもどれも高水準という活況を呈しています。

最早ベスト盤云々を議論することが不毛なほどに充実した状況といえますが、2018年も早々にシャイー&ルツェルン祝祭管弦楽団、ウルバンスキ&NDRエルプフィルという期待の新譜の発売が控えています。

最近のDECCAのライヴ録音にはあんまり期待していないのでシャイー盤は一旦様子見ですが、ウルバンスキはゲットしたいと思っています。


【CD聴くべ】ウィンナ・ワルツ名曲集(アルフレート・エシュヴェ盤)

とある機会で、超小編成でシュトラウス・ファミリー/ニューイヤーコンサート関連の有名曲をいくつか演奏することがあり、その参考音源を探しておりました。

順当にいけばウィーンフィルのニューイヤーコンサートを漁れば良いのでしょうが、超定番曲だけを集めた年というのは基本的になく、一挙に集めようとすれば自然とベスト盤やコンピレーションになってしまいます。また、言うまでもなくざわざわしたライヴ録音が主です。


じゃあセッション録音で企画された、しかもデジタル期以降の録音がどれほどあるかと思って考えてみると、実はシュトラウス・ファミリーの作品集というのは選択肢が狭いレパートリーです。

で、あーでもないこーでもないと探しているうち、ちょっと前に1000円の廉価国内盤復刻シリーズにあったこの録音を思い出した次第。

指揮はヨハン・シュトラウスにそっくりと噂の(そうか?)アルフレート・エシュヴェ。もうなんか日本ではシュトラウス・ファミリーの音楽以外で一切名前を聴くことはない程にウィンナ・ワルツの専門家。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートはもう世界的なお祭りですしスターや大巨匠を招いて楽しく華やかにって感じですが、こちらはサロン仕様というか、どさまわり上等というか、必要最低限の編成でキッチリ演奏されています。

編成が小さいので細かいところまでちゃんと聴こえるため、参考としてはもちろん、鑑賞用にも結構新鮮です。

また2枚揃えば定番曲はほぼ網羅されるのでお得感あります。個人的には「ジプシー男爵」序曲も入ってれば言うことなしでしたが。

曲目は下記。演奏はいずれもアルフレッド・エシュヴェ指揮 ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団。

<第1集>
01喜歌劇「こうもり」序曲 (J.シュトラウス2世)
02ワルツ「わが人生は愛と喜び」op.263 (ヨゼフ・シュトラウス)
03ポルカ「雷鳴と電光」op.324 (J.シュトラウス2世)
04皇帝円舞曲op.437 (J.シュトラウス2世)
05アンネン・ポルカop.117 (J.シュトラウス2世)
06ワルツ「オーストリアの村つばめ」op.164 (ヨゼフ・シュトラウス)
07ポルカ「観光列車」op.281 (J.シュトラウス2世)
08トリッチ・トラッチ・ポルカop.214 (J.シュトラウス2世)
09ワルツ「美しく青きドナウ」op.314 (J.シュトラウス2世)
10ラデツキー行進曲op.228 (J.シュトラウス1世)

<第2集>
01ワルツ「春の声」op.410 (J.シュトラウス2世)
02かじ屋のポルカop.269 (ヨゼフ・シュトラウス)
03ワルツ「朝の新聞」op.279 (J.シュトラウス2世)
04ワルツ「天体の音楽」op.235 (ヨゼフ・シュトラウス)
05ピチカート・ポルカ (J.シュトラウス2世&ヨゼフ・シュトラウス)
06ワルツ「芸術家の生活」op.316 (J.シュトラウス2世)
07ポルカ「水車」op.57 (ヨゼフ・シュトラウス)
08ワルツ「南国のバラ」op.388 (J.シュトラウス2世)
09加速度円舞曲op.234 (J.シュトラウス2世)
10常動曲op.257 (J.シュトラウス2世)

それにつけても、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者陣(エシュヴェの他には、ヨハネス・ヴィルトナーやマルティン・ジークハルト。あと、何故かフェドセーエフも結構振ってるらしい…)がニューイヤーコンサートを指揮したら、スター指揮者たちの演奏とどの程度違うのか(あるいは違わないのか)興味が出てきました。




2017/12/30

【オレコードアカデミー2017】新譜・旧譜関係なく今年出会ったもの部門④





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