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2019/05/05

【CD聴くべ】ブリテン「戦争レクイエム」、チャイコフスキー交響曲第4番&ムソルグスキー「展覧会の絵」(ノセダ盤)

マリインスキー劇場、ロンドン交響楽団の首席客演指揮者という経歴から「ゲルギエフの子飼い?」みたいな印象が強かったジャナンドレア・ノセダですが、最近はゲルギエフよりも録音活動が活発。

ゲルギエフ譲り(?)の筋肉質で力感のある引き締まった響きを作るイメージで、しかも仕上げはゲルギーよりも丁寧なのでナイスです。


ノセダはBBCフィルの指揮者だったころにCHANDOSにかなり録音しており、リスト、スメタナ、カゼッラ、ダッラピッコラ、プロコフィエフ、バルトーク、ショスタコーヴィチetc.といった名盤が出ています。

とくにラフマニノフは名演だと思います。交響的舞曲の録音がなされなかったのが惜しいところ。






ノセダは贔屓にしているロンドン交響楽団の首席客演指揮者に就任(ゲルギーの首席指揮者時代の終わりと入れ替わるように)しております。

特筆すべきはLSO Liveからブリテン「戦争レクイエム」を出しているということ(ただし、録音自体は首席客演指揮者就任前です)。

ブリテン:戦争レクィエム op.66

サビーナ・ツビラク(ソプラノ)
イアン・ボストリッジ(テノール)
サイモン・キーンリーサイド(バリトン)
ロンドン・シンフォニー・コーラス
エルサム・カレッジ少年合唱団
ロンドン交響楽団
ジャナンドレア・ノセダ(指揮)

録音時期:2011年10月9,11日
録音場所:ロンドン、バービカンホール
録音方式:デジタル(ライヴ)
プロデューサー:ジェイムズ・マリンソン
エンジニア:ニール・ハッチンソン&ジョナサン・ストークス

このオーケストラ、とくに金管群が醸すブリテン演奏の妙はやはり特別なものがあります。

戦争レクイエムはロンドン交響楽団にとって特別なレパートリーですが、録音だけで言っても自作自演盤、ヒコックス盤、ノセダ盤と、ロンドン響の3セットは別格の素晴らしさです。録音がどれも高品質なのもポイント高し。

同オケの勝負曲とはいえ実際に演奏機会が多かろう曲のはずもなく、ノセダ盤も「たまたま上出来だったからソフト化した」というわけではなく準備・編集含めて入念なプロジェクトが組まれたものと推測します。

激熱な演奏…というのがなかなか難しい、一筋縄では行かない難曲だと思いますが、ノセダ盤からはオペラ指揮者の旨さとでも形容したくなる劇的な表現が随所に感じられます。ここぞというときの力感は随一。




他方、同じくLSO LIVEから出ているノセダにとってのお国物のはずのヴェルディ「レクイエム」は「お母さんが観に来ていたからいつもよりぶっきらぼう」的な演奏で、あまりに極端でかえって興味深くもあります。





戦争レクイエム、ヴェルレクという大規模声楽付作品中心かと思われたLSO LIVEでの続編は、その後ロシア物中心にシフトしてきています。

ロンドンのオーケストラはロストロポーヴィチ、ロジェストヴェンスキー、スヴェトラーノフ、シモノフ、ゲルギエフ、ウラディーミル・ユロフスキといったロシアにルーツを持つ指揮者と関りが深いですが、イタリア人ながらノセダもそれらロシア人指揮者と似た扱い&イメージです。

現状CDではショスタコーヴィチ第8(NMLでは第5も聴けます。)、そしてチャイコフスキーの4番&ムソルグスキー「展覧会の絵」が出ています。

1. チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 op.36
2. ムソルグスキー/ラヴェル編:組曲『展覧会の絵』

 ロンドン交響楽団
 ジャナンドレア・ノセダ(指揮)

 録音時期:2017年10月29日&11月1日(1)、2018年6月3日(2)
 録音場所:ロンドン、バービカン・ホール
 録音方式:ステレオ(DSD/ライヴ)

偏愛するチャイ4。しかもロンドン響の洗練されつつもどこか野趣に富む金管群で聴く4番。

ティンパニの打撃も決まっており、大満足の名演。ひとつひとつのフレーズをしっかり鳴らし、間然するところがありません。最高。

それでいて流れの良さを損なわない。

例えばチャイ4の1楽章の終結部分(ノセダ盤17:00頃から終わりまで)は、テンポ感や表情付けなど、流れを殺さず劇的に仕上げるのが難しい箇所です。(個人的には流れを損なうくらいなら無窮動で行くべき派)

ノセダの指揮は、表情付けを強く激しく、しかしテンポの変化は最小限にインテンポを基本に突き進む。同曲の演奏でも出色の完成度です。

「展覧会の絵」も同様に惰性に陥らずフレーズをしっかりと掴んでいく。ロンドン響の上手さが光ります。





ラトル、ロト、ノセダという最高の布陣を誇るロンドン響。LSO LIVEの今後の展開が楽しみでなりません。




2019/02/09

【CD聴くべ】シベリウス交響曲全集(P・ヤルヴィ&パリ管弦楽団盤)



シベリウス:交響曲全集
1. 交響曲第1番ホ短調 Op.39
2. 交響曲第4番イ短調 Op.63
3. 交響曲第2番ニ長調 Op.43
4. 交響曲第5番変ホ長調 Op.82
5. 交響曲第3番ハ長調 Op.52
6. 交響曲第6番ニ短調 Op.104
7. 交響曲第7番ハ長調 Op.105

 パーヴォ・ヤルヴィ指揮 パリ管弦楽団(ライヴ)

 2012年10月17,18日(第1番)パリ、サル・プレイエル
 2014年1月29,30日(第6番、第7番)パリ、サル・プレイエル
 2015年3月17,18日(第2番)フィルハーモニー・ド・パリ
 2015年9月9,10日(第5番)フィルハーモニー・ド・パリ
 2016年3月2,3日(第3番)フィルハーモニー・ド・パリ
 2016年3月30,31日(第4番)フィルハーモニー・ド・パリ


ついに、というか、ようやくというべきか、2018年にリリースされたパーヴォ・ヤルヴィによるシベリウス全集。

とはいえ、リリース情報を目にした時点ではなんとなく「ちょっと様子見しようかな…」と思っていた自分がおります。

10年ほど前には「早くどこかで録音してくれ!!」と鶴首していたパーヴォのシベリウスですが、その後どうにもhr響時代の印象がよろしくなく、かつてのパーヴォ熱が冷めはじめておったのです。

しかしどうにも気になってCDショップで試聴した結果、そのまま購入に至りました。





ちなみに、試聴時に購入の決定打となったのは、大きく2点。

ひとつはピンポイントで自分の琴線に触れた演奏だったため。

それは1番終楽章(2:30頃~)における異常なティンパニの打撃と、5番終楽章(2:10頃~)における低弦の16分音符の動機が意図的に強調されたところ。

とくに後者は個人的にポイントが高い。

スコアを見ると拘って書き込まれたようにも思えるものの、このスピードだと「ゴソリ」みたいな次のフレーズの前打音くらいにしかならない音なのですが、パーヴォはほとんど指板を叩くような鋭い「ビシッ!」という音を出させています。

ストゥールゴールズ盤でも同様の処理をしており、個人的にここは「ビシッ」が聴きたいポイント。

…とはいえ、観測範囲でやっているのはストゥールゴールズ盤とペトリ・サカリ盤、それにこのパーヴォ・ヤルヴィくらいなんですけどね。この動機自体、埋もれてなんとなくモヤっとしか聴こえない演奏の方が多い程で。

最近はどうやらラトルも同様の処理を行っている模様。未購入なので製品版を確認出来てませんが、トレーラーを聴く限りベルリン・フィル盤でもやってますし、レコ芸に掲載されていたパーヴォ・ヤルヴィ盤のレビューによれば、ラトルはロンドン響とのコンサートでもやっていた由。



そして購入決定打のもうひとつはジャケット!

エッフェル塔のシルエットにどどーんと「SIBELIUS」て入っているジャケットに妙にそそられまして、そしてフランスのオーケストラによる初の全集と言われちゃうとシベリウス・ファンの端くれとしてなんだか持っていないといけないんじゃないか、と思わされてしまったのです。






こうして入手した当全集、購入後全編繰り返し聴きましたが大満足です。買って良かった。

ライヴ録音に特有のちょっとざわざわした音空間は正直好みではありませんが、思わず「あーあ」とがっかりするようなポカや大きな観客ノイズなどはなし。これまで出たパーヴォのライヴ盤と比しても、かなり完成度は高いです。



買った当初は、1番・6番辺りがまず一発で気に入り、聴くにつれて全曲に溢れる拘りと意欲にすっかり魅了されてしまいました。

颯爽としたテンポとシュッとしたフォルムを崩すことなく、その範囲の中ではかなり濃厚なニュアンスを加えるスタイルは、これぞパーヴォ節。近年いよいよその芸に磨きが掛かってきている感是あり。

もうどこがどう、といった箇所は挙げればキリがなく、どの曲・どの楽章にも濃厚な表情が刻み込まれています。これでテンポが遅めだったら流石に濃すぎてキツかったかもしれません。

細部への拘りは徹底していて、先述した低弦の「ビシッ!」という動機なども、あれは偶然ではないな!と思わずサムズアップ。

シベリウスに限って言っても、少なくともシンシナティ交響楽団と録音した2番や、Virginにエストニア交響楽団やスウェーデン放送交響楽団と録音した管弦楽・声楽作品録音では仄めかされる程度だったパーヴォ節が全面展開されており、ほとんど隔絶した世界観です。ライヴ録音であることを差し引いても、かなりやりたい放題になっています。




細部の拘りと、ほとんど融通無碍とさえ言うべき濃厚なニュアンスは、パーヴォの棒にビビッドに応えるパリ管の魅力があればこそ、という点は言うまでもありません。とくに弦と木管の雄弁さ。

(hr響の諸録音では、このニュアンス発揮の部分でどうしても不器用さや雑さに繋がってしまう嫌いがありました。パーヴォの速めのテンポ感で楽想を処理するだけで技術的・音楽的なキャパを超えてしまうオケ・演奏者もあるのでしょう。)



パリ管弦楽団に関しては、個人的にパーヴォ治世になってから録音に触れる機会が増えたのですが、往年のモントリオール交響楽団のコピーに倣って言えば、なんなら「ドイツのオケよりドイツ的な」感じがするオケだな、という印象でした。

演奏者一人一人の意志が強くて、分離の良い透明感より、ちょっとごちゃっとした重さのある音が「二昔前くらいのドイツオケの音の雰囲気」。
(カラヤン、ショルティ、バレンボイム、ビシュコフ、ドホナーニ、エッシェンバッハという歴代指揮者の訓練の賜物なのか?)

ともかく、重心の低さと、スコーンと抜けてこずに中央に響きが寄る雰囲気の金管群が印象的。エッジを立たせるのは主にトロンボーン辺りが担い、トランペットはあまり突出しない。

既出のビゼー、プーランク、ラフマニノフ辺りはそれほど心動かされなかった、というのが正直なところなのですが、このシベリウス(と、フォーレのレクイエムも何気に好き)はパリ管パーヴォ時代の金字塔といえる名演です。何か突き抜けたものを感じます。

幻想交響曲やサン・サーンス「オルガン付き」、そしてニールセン交響曲全集(!)なども収録自体は行われている、という噂もありますが、何らかの形で世に出ることはあるのでしょうか。





パーヴォ・ヤルヴィとパリ管弦楽団によるシベリウス全集は「シベリウスの交響曲も1組くらい持ってなきゃ。ここはひとつ定番を」みたいなニーズに応えるニュートラルでスタンダードなセットか、言われると少し違う気がします。

しかしベルグルンド新旧盤でもブロムシュテット盤でもヴァンスカ盤でも、定番全集と組み合わせることで、双方の価値を高め合うことが出来る、そういう全集ではないかと感じます。



2019年からリリース開始されたロウヴァリ&エーテボリ交響楽団の録音のように、北欧音楽としての静謐さだけではなく表現意欲に溢れたシベリウス演奏もより増えてきそうな昨今ですが、あるいはこのパーヴォ盤がそうした流れの先鞭にして「パーヴォパイセン!パネェッす!」という大きな壁になることは間違いないでしょう。
(ロウヴァリ盤はどこまで続編が出るか未知数ですが、そのうち買ってみようかな、と思っています。パーヴォ盤でかなり満たされてしまって、即購入のモチベーションは沸いていません。)

このパーヴォ&パリ管の演奏を、濃い目路線で超えるのはかなり難しいミッションと言わざるを得ません。相当な才能と本気出した(ちょっとした音にさえ魅力がある程の)一流楽団でないと無理でしょう。



2018/12/30

#オレアカデミー賞2018 なんでか知らんが今年よく聴き返した旧譜部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第12回(全12回)。


・ラヴェル:歌劇「子供と魔法」、バレエ「マ・メール・ロア」
 (アンドレ・プレヴィン指揮/ロンドン交響楽団ほか)

・バーンスタイン:ミサ曲
 (クリスチャン・ヤルヴィ指揮/ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団)

・ブラームス:ピアノ協奏曲第1番, 第2番
 (イルジー・ビエロフラーヴェク指揮/イヴァン・モラヴェッツp/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団)

・サン=サーンス:交響曲第2番, 第3番「オルガン付」
(ヤン・パスカル・トルトゥリエ指揮/アルスター管弦楽団)

・メシアン:トゥーランガリラ交響曲
(ヤン・パスカル・トルトゥリエ指揮/BBCフィルハーモニー管弦楽団)

・ビゼー:「アルルの女」組曲/「カルメン」組曲
(ヤン・パスカル・トルトゥリエ指揮/アルスター管弦楽団)


プレヴィンは「スペインの時」&「スペイン狂詩曲」も再発して欲しい。

バーンスタイン・イヤーだし、やっぱミサ曲。この曲の凄さに改めて感じ入った一年でした。

モラヴェッツのブラームスについては過去記事参照

そして、何故かY・P・トルトゥリエをよく聴いてました。オルガン付やビゼーはトルトゥリエ盤がマイベスト。

#オレアカデミー賞2018 俺はいつもシベリウスイヤー部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第11回(全12回)。

・シベリウス:交響曲第1番, 第6番
 (トマス・セナゴー指揮/BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団)

・シベリウス:交響曲第2番, 第7番
 (トマス・セナゴー指揮/BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団)

・シベリウス:管弦楽曲集
 (トマス・セナゴー指揮/BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団)


つい出遅れてしまってましたが、ようやくセナゴ-盤に追いつきました。

あまりデカい規模じゃない感じのオケによるシベリウスとしては、ヴァンスカやオッコ・カムによるラハティso盤より断然こちらを取りたい。

祈願!全集完結!

#オレアカデミー賞2018 ヒゲとブリテン部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第10回(全12回)。


・フィンジ:チェロ協奏曲/エクローグ/新年の音楽/大幻想曲とトッカータ
 (アンドリュー・デイヴィス指揮/ポール・ワトキンスVc/ルイ・ロルティp/BBC交響楽団)

・エルガー:ミュージック・メイカーズ/イングランドの精神
 (アンドリュー・デイヴィス指揮/サラ・コノリー/アンドリュー・ステイプルズ/BBC交響楽団ほか)

・ブリテン:セレナード/4つのフランス歌曲/イルミナシオン
 (ブライデン・トムソン指揮/フェリシティ・ロットほか/スコティッシュ・ナショナル管)

・ブリテン:フランク・フリッジの主題による変奏曲/ラクリメ/シンプル・シンフォニーほか
 (テリエ・トンネセン指揮/カメラータ・ノルディカ)

・ブリテン:歌劇「カーリュー・リヴァー」
 (サー・ネヴィル・マリナー指揮/アカデミー室内管弦楽団)

サー・アンドリューしかヒゲではないが。。

サー・アンドリューは今年も大活躍。なんといってもフィンジのエクローグの新録音はありがたい。

演奏は「万年若手老人」の面目躍如。まるで青春真っただ中にいるような爽やかな演奏で、ニコラス・コロン&オーロラ管弦楽団盤のとっぷりとした演奏とは異なるが、この曲のある一面を最大限に活かした演奏だと思います。

名曲のチェロ協奏曲も入っていて、大満足。


ブリテンのCDは出てるとつい手が伸びてしまうが、カメラータ・ノルディカのBIS盤とブライデン・トムソンの録音を今年ゲット。どちらも最高。


マリナーのカーリューリヴァーは、Naxos Music Libraryで存在だけは認識していたものの、まず入手は無理だろうと思っていたが、偶然中古屋さんでゲット。

デジタル録音でカーリューリヴァー!たまりませんな。

#オレアカデミー賞2018 ずっとマイ決定盤を探してた部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第9回(全12回)。



・ダウランド:ラクリメ
 (ロルフ・リズレヴァン/ノルウェー・バロック管弦楽団)

・ワーグナー:交響曲ハ長調、ジークフリート牧歌
 (フローリアン・メルツ指揮/クールザクセン・フィルハーモニー管弦楽団)

・J・S・バッハ:フーガの技法(F. シュティードリーによる管弦楽編)
 (ハンス・ツェンダー指揮/ベルリン・ドイツ交響楽団)

・ブラームス:弦楽四重奏曲 Op. 51, No. 2、クラリネット五重奏曲 Op. 115
 (エルサレム四重奏団、シャロン・カム)

・ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第1番, 第2番、スメタナ:弦楽四重奏曲第1番
 (エルサレム四重奏団)

・ウェーベルン:弦楽四重奏のための緩徐楽章、ベルク:抒情組曲ほか
 (プソフォス四重奏団)

これも毎年一定数あるピンポイントで「あの曲が、あの曲だけが聴きたい!自分にぴったんこの演奏・録音で!」という欲望に従って探し、そして巡り合った音盤たち。

ダウランドの溢れよわが涙!

ワーグナーの交響曲!の、古楽器演奏!

フーガの技法!

ブラームスのクラリネット五重奏!(@akashoubin0565 さん教えてくれてありがとう!)

ヤナーチェクの弦楽四重奏曲!

ウェーベルンのラングサマーザッツ!

2018/12/29

#オレアカデミー賞2018 文句なし部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第8回(全12回)。

・マーラー:交響曲第6番「悲劇的」
 (テオドール・クルレンツィス指揮/ムジカエテルナ)

・J・S・バッハ:プレイズ・バッハ
 (ヒラリー・ハーン)

・アニメ「宇宙よりも遠い場所」


オレだけでなくアカデミーな人らもヌルい人らも熱い人らも、なんならニューヨーク・タイムズの人らも絶賛したものたち。文句なし!

ヒラリー・ハーンもクルレンツィスも、ドシドシ録音してビシバシ出して欲しい。

そして「宇宙よりも遠い場所」はほんとに良かった。完成度の高い新たな古典。泣いたし。


#オレアカデミー賞2018 ポンニチ部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第7回(全12回)。


・ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」/伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ、ゴジラ
 (アンドレア・バッティストーニ指揮/東京フィルハーモニー交響楽団)

・チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」/武満徹:系図
 (アンドレア・バッティストーニ指揮/東京フィルハーモニー交響楽団/語り:のん)

・ベートーヴェン:悲愴/月光/熱情
 (反田恭平)

・ファリャ:バレエ「三角帽子」ほか
 (山田和樹 指揮/児玉麻里ほか/スイス・ロマンド管弦楽団)


DENONはまじで素晴らしい。

クラオタ右派にはアイドル路線に映ることもあるかもしれないが、実力第一でアーティストを見出し、ビジュアル面・レコーディングの費用面でサポートする姿はレーベルの鏡。

サポートするとなったらセッションで素晴らしい音質の録音を残す、その姿勢は是非応援していきたいところです。


バッティストーニとのセッション録音シリーズ「BEYOND THE STANDARD」は本当に好企画。

有名曲+邦人作品のクラシックスという組み合わせ方針も、現状望み得る最高のコンセプト。いま計画されてるものに留まらず継続して欲しいです。

演奏も相変わらずバッキバキのキッレキレでドッキドキします。


活躍の場を広げているヤマカズは、スイス・ロマンド管との活動は一段落。ファリャ作品集はその金字塔。

#オレアカデミー賞2018 2017年度 第55回レコード・アカデミー賞部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第6回(全12回)。

・モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
 (ジュゼッペ・マレット指揮/ラ・ピファレーシャ他)

一年遅れで追いつきました!なにこれ最高。

このテンポ感、溶け合いつつ絡み合う音響空間。たまりません。

#オレアカデミー賞2018 華麗なる復活部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第5回(全12回)。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ほか
 (パーヴォ・ヤルヴィ指揮/エストニア祝祭管弦楽団)

・シベリウス:交響曲全集
 (パーヴォ・ヤルヴィ指揮/パリ管弦楽団)

・プロコフィエフ:バレエ「ロミオとジュリエット」全曲
 (ヴァシリー・ペトレンコ指揮/オスロ・フィルハーモニー管弦楽団)


数年来「最近なんか面白く感じないナ…」と個人的に盛り上がらなかったパーヴォとヴァシリー。

しかし、これらの印象で劇的に復活。やっぱおめぇつえーな!と俺の中の野沢雅子が吼える。

パーヴォに関してはhr響が、ヴァシリーに関してはOnyx録音と私の相性がイマイチだっただけか?と思ってみたりも。


パーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団のシベリウスはかなりハマりました。ジャケも最高。別途まとめたい。

エストニア祝祭管弦楽団はパーヴォのライフワークとなるべき手兵。

タコ6もいつもの快速運転ですが、音楽が上滑りしないギリギリを衝いています。

パーヴォは世界○大オケのドン的なポジションからは微妙に距離がありますが、その周辺の音楽家たちと培ってきた関係性が今モリモリ花咲いている時期なのかもしれません。


ヴァシリーについては過去記事参照のこと。これもよく聴いた一組。

#オレアカデミー賞2018 一押し若手が今年もブイブイ言わせてた部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第4回(全12回)。



・ブラームス:交響曲第4番&ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
 (ヤクブ・フルシャ指揮/バンベルク交響楽団)

・ストラヴィンスキー:春の祭典
 (クシシュトフ・ウルバンスキ指揮/北ドイツ放送エルプフィルハーモニー管弦楽団)

・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
 (クシシュトフ・ウルバンスキ指揮/北ドイツ放送エルプフィルハーモニー管弦楽団)

・バルトーク:管弦楽のための協奏曲、舞踏組曲ほか
 (エドワード・ガードナー指揮/メルボルン交響楽団)

・エルガー:交響曲第2番、弦楽セレナード
 (エドワード・ガードナー指揮/BBC交響楽団)

・ドビュッシー:交響詩「海」/聖セバスティアンの殉教ほか
 (パブロ・エラス=カサド指揮/フィルハーモニア管弦楽団)

・バルトーク:管弦楽のための協奏曲、ピアノ協奏曲第3番
 (パブロ・エラス=カサド指揮/ハビエル・ペリアネス/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)


PETATONE&TUDOR&フルシャ
CHANDOS&ガードナー
ALPHA&ウルバンスキ
Harmonia Mundi&エラス=カサド

と、意欲的なレーベルとのコラボレーションに恵まれ、ここ数年来注目の若手指揮者は今年も(録音的に)大活躍。

家庭持ちだし小遣い制なので出るものすべて買う…というわけにも行かないですが、それでもマストバイが毎年一定数出てくる最高な状況。

この部門筆頭はなんといってもフルシャ!

PENTATONEから出たベルリン放送交響楽団とのコダーイ&バルトークは購入見送った(なんでベルリン放響?つか特に好きでもないオケコン3枚も買えないわ…)のですが、手兵バンベルグ響とのブラームス&ドヴォルザークの注目チクルス第1弾は期待に違わぬ充実した内容で大満足。

硬質で真摯で外連味なく。刺激的・個性的たらんとするのではなく、曲の真価にひたすら向き合う。

若いが、間違いなく名匠。フルシャ大好き。


ウルバンスキはNDRエルプフィルとの名曲路線が継続中。

レパートリーこそド王道だが、毎回独特の感性で聴かせます。

派手さで売るタイプではないのは確かですが、いぶし銀とかいうわけでもなく、どこか「謎」感が漂う不思議な魅力を放っています。


ガードナーも健在。最早中堅というべきかもしれません。英国楽壇での地位も高まってきている印象。

同じレーベルでサー・アンドリューも居るのでエルガーチクルスがどこまで計画されているかは微妙なところですが、是非エニグマも録音して欲しいもの。


ハルモニア・ムンディの看板指揮者になったパブロ・エラス=カサドのドビュッシーとバルトークも鮮烈。

ドビュッシーの「海」の「海上の夜明けから真昼まで」では、終結部分でのバルトークピツィカートがはっきり聴こえます。最高だぜ。

追記。

サロネンがフィルハーモニア管弦楽団の指揮者を退任(サンフランシスコ交響楽団へ転出)する旨、発表されましたが、ここで挙げた若手の誰かが後釜になる可能性もあるんじゃないかと思ってたりします。

#オレアカデミー賞2018 ハーディング確変継続部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第3回(全12回)。


・マーラー:交響曲第9番
 (ダニエル・ハーディング指揮/スウェーデン放送交響楽団)

・マーラー:交響曲第5番
 (ダニエル・ハーディング指揮/スウェーデン放送交響楽団)

・バルトーク:ヴァイオリン協奏曲集
 (ダニエル・ハーディング指揮/イザベル・ファウストVn/スウェーデン放送交響楽団)

・ブラームス:ヴァイオリン協奏曲他
 (ダニエル・ハーディング指揮/イザベル・ファウストVn/スウェーデン放送交響楽団)

・ブラームス:ピアノ協奏曲第1番他
 (ダニエル・ハーディング指揮/ポール・ルイスp/スウェーデン放送交響楽団)

・ブリテン:初期作品集
(ダニエル・ハーディング指揮/イアン・ボストリッジ/ブリテンシンフォニア)

2016年、スウェーデン放送交響楽団とのコンビで出したベルリオーズ「幻想交響曲」に度肝を抜かれて気付いた、ハーディングとス放響確変期。

それをきっかけに過去の録音含めてディグりましたが、どれも凄い完成度。勢いでブリテン作品集まで掘ってしまった。


今年の新譜マーラー第9,5でも確変状態は間違いなく健在。第5なぞ、去年出たロト盤とはまったく違う意味で作り込みが物凄い。

「千々岩英一
@EiichiChijiiwa
11月28日

ハーディングの練習は、まるで母国語会話を外国人に微に入り細に渡って教える時のように、アーティキュレーションとイントネーションの徹底、ニュアンスの構築に終始する。縦線の合わせや音程チェックは、できていようがいまいが基本的にしない。何時間続けて喋っても説得力のないことは絶対言わない。」

千々岩さんのこのツィートの意味がスウェーデン放送響との録音からはビンビンに伝わってきます。

無論、ハーディングの音楽性だけの話ではなく、プレーヤーたちの高い技術・合奏力と表現意欲が高次で融合するス放響のケミストリーが止まらないということ。

可能な限り長続きして欲しい&可能な限りたくさんのレパートリーを録音して欲しいコンビ第1位。

#オレアカデミー賞2018 粋な夜電波終了で涙にくれた部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第2回(全12回)。

・キップ・ハンラハン「クレッセント・ムーン」
・ハービー・ハンコック「Lite Me Up」
・オーニソロジー「101」

まさか番組が終了するとは…。ソウルバー菊がもう聴けないなんて。この別れ話が冗談だよと笑って欲しい。

TABOOレーベルのSONY傘下では最後のアルバムはオーニソロジー。めちゃめちゃエロい。聴いているだけでイケメンになった気にさせてくれる。

番組終了は悲しいが、SONG XXやファイナルスパンクハッピーの新譜を楽しみに待つのみ。

#オレアカデミー賞2018 さよならポニーテール部門

新譜旧譜関係なし。今年出会ったものハマッたもの。第1回(全12回)。

・さよならポニーテール「君は僕の宇宙」

さよポニは自動的に入ることになっている。オレアカデミーだから。知らなかったとは言ってほしくない。

2018/10/21

【CD聴くべ】バーンスタイン「ウェストサイドストーリー」(自作自演・84年盤)

今年2018年はレナード・バーンスタイン生誕100周年のアニバーサリーイヤーということで、記念リリースが目白押し。

加えて言えばこれまでのリリース傾向に比して、「作曲家バーンスタイン」に焦点が当たった印象があります。なぜなら自演盤の再発だけでなく、様々な演奏家による新録音が次々と登場したため。

メジャーレーベルから「不安の時代」の新録音が複数出たり、「静かな場所」の新譜が出るとは…。

ですが、ここで取り上げるのはベッタベタのウェストサイド。しかも84年の自演盤です。

そういやバーンスタインイヤーだったなぁということで久しぶりに聴きましたが、物凄く良かったです。

ちょ、おま、今更?て話ですが、とはいえ、この録音は意外と評価が低い印象があります。しかも、批判される際の常套句が「カレーラスやテ・カナワの歌唱がミュージカルぽくない。」というもの。

今回改めて聴き直してみて、そうした批判は「非バーンスタイン的」だな、と感じるに至りました。

ミュージカルぽくないからダメだ、という価値判断で音楽に接するのであれば(念のために言っておけば、それはそれで充分に説得力を持つ文脈ではありますが)、何もバーンスタイン、しかも80年代のバーンスタインという複雑な文脈を持つ音楽をわざわざ聴く必然性はないだろうと思います。

そう思った理由は、この録音に「ミサ」の影を感じ取ったからです。

私が学生の頃は自演盤含めて録音の入手困難曲だったバーンスタインの異形の大作「ミサ」(1972)ですが、今では自演盤、ケント・ナガノ、クリスチャン・ヤルヴィ、オールソップ、ネゼ=セガンと綺羅星の如きラインナップで「聴き比べ」出来る曲になりました。

自分のお気に入りはK・ヤルヴィ盤。

近年、様々な録音で聴いているうちに、この曲の世界観に妙にはまってしまいました。ミサというカトリックの宗教音楽でありながら音楽的にはかなりクレズマーぽい。

ポップスにもロックにもクラシックにも前衛音楽にも聴こえるようでどれでもない、といった在り方、それ自体が、「ユダヤ的」と言えるかもしれません。


この曲の、そしてバーンスタイン自身のテーマには「疎外」があります。

しかし単純な疎外論(=理想とすべき状態がどこかにあり、現状をその差分として捉える)にならないのは、理想とする状態自体が分裂していて定位しない点です。

ユダヤというテーマ全体に言えることかもしれませんが、ルーツへの回帰とか理想郷とかいった、現状に対して目指すべき何か明確な筋道を照らし出すものにはなり切れない、常に欺瞞と共にあらねばならない悲哀のようなものがあります。

そうなると、相対的に「言いたいこと」が弱弱しくならざるを得ません。

理想状態が定位しない以上、何を肯定して何を否定すれば良いかも決まりようがないからです。

たとえ仮初であっても、理想郷が描き出せればよいのですが、バーンスタインという複雑な魂にはそこに没入も出来ません。
(イスラエルフィルとは長年深い関係を持っていましたし作品の多くもユダヤがテーマですが、熱狂的にシオニズムに傾倒したという話も聞きません。。)

無力と知りつつ愛や平和を祈るしかないだけの孤独が、バーンスタインには付きまとっています。


一過性の輝きに掛けてなんの憚りもない演奏家としての顔(それはそれである種の救い・癒しだったでしょう)だけではない「作曲家バーンスタイン」の奥の院。それが「ミサ」だと思います。

「ミサ」を聴くことで感じた/知った、そうした作曲家バーンスタインに関する大きな文脈がまず、ひとつ。


もっとミクロな話では、最新録音で繰り返し聴いた「ミサ」でクセになる要素が、大規模管弦楽・合唱団に「エレキギターとドラム」の音が入る異化効果です。

クリスチャン・ヤルヴィ盤が好きなのは、このエレキギターとドラムがよく録れているからでもあります。

クラシックの管弦楽とエレキギターを組み合わせた音楽は世の中に溢れていますが、バーンスタイン作品のそれ程バランスが拮抗しているものは稀といえるでしょう。見方を変えれば、それだけ分裂しているともいえます。

歌や合唱に関しても、オペラ的なものへのオブセッション(合唱とアリア)と反発(ロックシンガー、ミュージカル)が、それが当然であるかのように同居しています。


かくして、大きなテーマ的にも、また、ミクロな音の質感的にも「ミサ」を通してここ数年で確立されつつある「私のバーンスタイン観」が、人生最終盤に差し掛かった時期に録音された「ウェストサイドストーリー」録音への印象をガラッと変えてしまったというわけです。

作曲家として「ウェストサイドストーリーの作曲家」と呼ばれることをあまり好いていなかったと言われるバーンスタインが、なにゆえ晩年近くになって自演盤を残そうと考えたのか…。

その理由の一端に、ウェストサイドを「ミサ曲」のテーマ/音楽的解釈の延長線に捉えることを目論んだのでは?と見立てた次第。

その見立てでいえば、もはや「ミュージカルかオペラか」みたいなシンプルな聴き方は出来ません。

そうして聴いてみると、サムホエア…と無力を知りつつ、トゥナイト…と今宵の愛を歌うウェストサイドの歌詞が、妙にバーンスタインらしく響いてくるので不思議です。


音的な意味では、84年盤のオーケストラがまず妙な編成。

この時期のバーンスタインとドイツ・グラモフォンであれば、著名な名門オーケストラを動員することも不可能ではなかったはずですが、スタジオミュージシャン中心の雑多な編成になっています。

弦は小型の編成にして、サックス、ドラム、エレキギターを含む特殊なアンサンブル。また、録音もスタジオを使った、それぞれ個の絡み合いを聴かせるスタイル。

腕っこきクラシックオケがコンサートホールで奏でるシンフォニック・ダンスとはかなり質感が異なります。

ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラがノッリノリで演奏する「マンボ」であっても、この自演盤に比べると「クラシックの音」です。


そして声楽はコーラスがミュージカル風で、アリアや重唱を歌う主人公ソリストがオペラ風という、これまた混合部隊。エレキギターの音色によるアクースティックの異化作用、コーラスとカレーラスとキリ・テ・カナワの歌唱が交じり合う異化作用。

そして言うまでもない、指揮者バーンスタインの優秀さ。混成部隊を率いているとは思えない程に、ぐいぐい音楽を作り出していきます。

一度この録音の「複雑さ」を味わってしまうと、よりミュージカルっぽい演奏(例えばシャーマーホーン盤)が、何故か妙に物足りなく感じられてしまいます。


気付けば「作曲家バーンスタイン元年」なのは、レコード業界ではなく自分自身だったのかも、と思う2018年秋なのでした。




2018/08/20

【CD聴くべ】ワーグナー交響曲ハ長調(フローリアン・メルツ盤)

ワーグナーの交響曲ハ長調と言えば一般的なクラヲタには馴染みが薄いですが、銀河英雄伝説旧シリーズの各所を彩ったゆえに銀英伝ファンからすれば「あ!聴いたことある!」というフレーズがてんこ盛りです。

ワーグナー19歳の筆による平明にして風格と気品をまとったロマン派の名曲。ベートーヴェン直系にして、ウェーバーやメンデルスゾーンの系譜を感じさせます。

ただ、いくつかある録音にはいまいち満足できずにおりました。後年の楽劇のイメージがちらついてしまうのか、演奏がどれも重い。

いろいろ試して、ラシライネン&ノルウェー放送響盤、若杉弘&東京都交響楽団辺りで楽しんではおりましたが、まだ重い。

いつか古楽器アンサンブルによる録音が出たら是非聴きたい、と思うこと幾星霜。

しかしつい最近、ようやく発見しました!!

■ワーグナー:交響曲ハ長調
■ワーグナー:ジークフリート牧歌

フローリアン・メルツ(指揮)クールザクセン・フィルハーモニー

自分が見つけられて居なかっただけで2004年に出てた模様(笑)あまりにマイナーなレーベルなので見落としていました。

演奏は超最高。沸き立つリズムの饗宴。

銀英伝ファンがこれを聴いても、あまりの違いにレーグナー盤と同じ曲とは思えないかもしれません。それくらい他と隔絶しています。

パブロ・エラス=カサドとフライブルク・バロック管弦楽団とのメンデルスゾーン・チクルスと同傾向にあると言えましょう。

ワーグナーの交響曲はクララ・シューマンの手紙の中で「ベートーヴェンの第7らしい」と評されたと言われますが、「まぁ言われればそうかもしんないけど、殊更に言うほど似てるかな?」と思ってきた自分でしたが、この演奏ならば納得。ほんとうにそっくり。

逆に、この演奏を聴いて以降、ラシライネン盤や若杉盤を聴いてもベートーヴェンぽく聴こえるようになってきました。不思議。

この盤の良いところは、初演(ワーグナーんちの階段)の室内楽版を再現したという「ジークフリート牧歌」をカップリングしているところ。こちらも最高です。


後年の楽劇世界よりも、交響曲ハ長調やジークフリート牧歌のワーグナーが好きな自分としては、前奏曲集・序曲集含めて、もっと古楽器アンサンブルによるワーグナー演奏が出てくれればいいな、と思う次第。ノリントン盤とかすごく良いと思いますマジで。


2018/07/21

【CD聴くべ】新しいインヴェンション(ロルフ・リスレヴァン)

少し前まで、ダウランドの「ラクリメ」及び「あふれよわが涙」のマイフェイバリット探しをしていたのですが、NMLでいろいろ探した結果辿り着いたのがロルフ・リスレヴァン&ノルウェー・バロック管弦楽団盤でした。

似たような主題の似たような曲調が続く一枚ですが、しっとりと進みつつ最終15トラック目の全体合奏による「あふれよわが涙」が始まると、いよいよ感極まって溢れ出る感じがあり、聴くたびにぐっときてしまいます。


ロルフ・リスレヴァンは、ノルウェー出身のリュート・ギター奏者で、ジョルディ・サヴァールのエスペリオンXXに長年参加していた経歴の持ち主。リーダーアルバムもECM等からいくつか出ています。

そんな彼の最新作「Nuove Invenzioni(新しいインヴェンション)」が今年(2018年)、SONYから発売となりました。

ロルフ・リスレヴァン&コンチェルト・ステラ・マトゥティナ
『ヌオーヴェ・インヴェンツィオーネ』
● パヴェル・ヨセフ・ヴェイヴァノフスキー[1633?-1693]:『イントラーダ』
● ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル[1685-1759]:『永遠の光の源』
● ジョヴァンニ・パオロ・フォスカリーニ[1600?-1647]:『パッセ・メッツォとパッサカリア』
● フロリアン・キング[1947-2003]:『ツヴァイテット』
● ジョヴァンニ・パオロ・フォスカリーニ:『フェレッティのタステッジアータ』
● フランチェスコ・ダ・ミラノ[1497-1543]:『ラ・スパーニャ』~ トーマス・スタンコ[1942-]:『サスペンデッド・ヴァリエーションズ』
● ジローラモ・フレスコバルディ[1583-1643]:『パッサカリアによるアリア』
● 作者不詳:『Por que llorax blanca nina?』
● フィリップ・ヤコプ・リットラー[1637?-1690?]:『チャッコーナ』

ロルフ・リスレヴァン(リュート、テオルボ、バロック・ギター)
コンチェルト・ステラ・マトゥティナ

録音時期:2018年1月24-28日
録音場所:オーストリア、ホーエネムス、マルクス・シティックス・ザール
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

リリース情報をキャッチして以来HMVのサイトを時折チェックしていたのですが、録音風景の写真が載っておりまして佐藤二郎ばりに数度見。

「ド、ドラムセットがおる」

よくよく見ればバスドラが古楽器風の太鼓だったりして完全に今様のセットではないですが、なんとダブルベース、ドラム、トランペット(古楽器持ち替え)のジャズ・インプロヴィゼーションのチームを含むアンサンブルになってます。

興味が沸々と沸いてさっそく情報収集。

なにこれカッコイイ(トゥクン…)、ということで早速購入。

(クラシック畑の演奏家たちでもジャズっぽく聴こえるように編曲された、カプースチン方式による)クラシックのクロスオーバーのイージーな感じではなく、当世欧州ジャズのエッセンスががっつり入っています。

Dr、Bass、Tpのピアノレストリオが古楽アンサンブルの中に急に現れる感じ、何度聴いても「ふおおおっ(紅潮)」となります。ジャズのダブルベースが物凄く効いています。

調べてみるとダブルベースとドラム・Perc、トランペットのメンバーは完全にジャズの訓練を受けている人たち。

ジャズだから良い悪い問題といった話ではなくて、演奏家としてのバックグラウンド、専門性の拠って立つところの違い、というのが音の対比としてしっかり現れている、ということです。

古楽とジャズの次元が捻じれて交わる。音の異世界転生ファンタジー。




古楽プロパでなく「ジャズ>古楽」嗜好の私からすれば、最高に気持ちいいナイスアルバム。

古典派以降が興味の中心だと、結構なクラヲタであっても古楽のアルバム一枚聴き通すのは意外と難儀だったりしますが、クリスティーナ・プルハル&ラルペッジャータのラテンアルバムと併せて、ヌル古楽ファンのマストアイテムとして熱くお薦めです(温度感)。




2018/06/10

【CD聴くべ】ブラームス ピアノ協奏曲第2番(モラヴェッツ&ビエロフラーヴェク盤)

良いCD(=自分にとってしっくり来る音盤)を探して久しい曲の一つが、ブラームスのピアノ協奏曲第2番。

第1番の演奏が気に入っているハーディング指揮スウェーデン放送交響楽団&ポール・ルイスには期待大ですが、いまのところ2番が出る気配がありません。あとは、アンスネスがセッションで録音してくれたら良いなーと思っています。

まぁその辺は将来の楽しみということで、現時点で一番聴いているのはなんだかんだでこれ。




ブラームス:
● ピアノ協奏曲第1番ニ短調 op.15
● ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op.83

 イヴァン・モラヴェツ(ピアノ)
 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
 イエジ・ビエロフラーヴェク(指揮)

 録音時期:1988年9月(第2番)、1989年10月(第1番)
 録音場所:プラハ、ルドルフィヌム
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

モラヴェッツ&ビエロフラーヴェク指揮チェコフィル盤。

ちなみに国内盤のCREST1000で出てた奴はなんとなく音が気に入らず(CREST1000は同様の例が多い…)、輸入盤で買いました。

国内盤のジャケ写から連想されるような大時代的な演奏ではなく、かなりモダンな演奏に仕上がっています。

派手ではなく、そんなに特殊な解釈があるというわけでもなく、しかしどこをとっても食い足りなさがない。燻し銀丸出し。流石です。

響きが分厚いせいで各楽器の動機がピシッと聴こえないブラームス演奏はすぐに飽きがきてしまうというのが私の経験則(というか相性というか)なのですが、その点オケもフォルムがピシッと決まっていて最高。やる気過剰でガッツガツ演奏されてる録音と比較すると室内楽団みたいにさえ聴こえる演奏です。

こういう演奏で聴くと、チェコフィルの音色の美しさが光ります。

曲冒頭のホルンソロ(名手ティルシャルでしょうか)だけでも異様な美しさ。まるで電子的な変調でも掛けているんじゃかろうかと思わせてしまうほどに他とは隔絶した世界です。

ついついこのCDを手に取ってしまう理由のひとつはこのホルンソロにあると言っても過言ではないかもしれません。

にしても、モラヴェッツもビエロフラーヴェクもこの数年で他界してしまいました。素晴らしい演奏を残して頂いて感謝。合掌。



2018/04/30

【CD聴くべ】プロコフィエフ『ロメオとジュリエット』全曲(V・ペトレンコ盤)

ちょっと情報収集対象から遠ざかっていたV・ペトレンコ熱が最近再燃。

遠ざかっていた理由は最近彼が関わっているONYX、EMIレーベルの録音。どちらも正直問題が多い(痩せてたり遠かったり編集甘かったりで)ため、積極的に追う気力が沸かなかったのです。

それがガラッと変わったのはLawoレーベルから出たプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」全曲を聴いてから。


プロコフィエフ:バレエ音楽『ロメオとジュリエット』 Op.64

 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
 ワシリー・ペトレンコ(指揮)

 録音時期:2015年11月2-6日
 録音場所:オスロ・コンサート・ホール
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


オケはロイヤル・リヴァプール・フィルではなくオスロ・フィルですが、これがまた凄い演奏で、ワシリーに再注目させられてしまったのです。


ジュリエットの無邪気さ、若さゆえに抑えきれない思慕の念、ふたつの家の緊張と流血、悲恋…。物語も一本道で分かり易い上に音楽が極上で、長丁場にも関わらずついついジーンと来てしまうプロコのロメジュリ。自分も大好物。


しかしV・ペトレンコの演奏は、どこを取ってもキンキンに冷えていて、甘さがまったくない超ソリッドなもの。

物語に棹さして感情を揺り動かすような演出が「まったくない」演奏で、フレーズの膨らみが感じられない直截な響きに貫かれています。

無窮動で貫かれる透徹したリズム。テンポは速目一辺倒ではなく、たまにグッと手綱を締めるようにBPMを落とすのが超クール。

「ロメジュリって、厳冬のレニングラードが舞台だったよね確か」

と素で幻視してしまえるほどに極寒でカッチンコッチン。マーキュシオやタイボルトの吹き出す血もあっという間に凍りつきそう。


聴いていて「いや、これ、最早ムラヴィンスキーじゃないの?!」と思えてきます。

V・ペトレンコは活躍が伝えられはじめたのが30代前半でしかも爽やかなルックスだったし、CD帯にある「スタイリッシュ」さを聴き取ろうとしてしまっていましたが、それは間違いでした。

このロメジュリ聴いて以来「ジェントル&クール過ぎて最早暴力」というムラヴィンスキーの音楽性を継ぐ者として認識を新たにしたのです。

「新世紀ムラヴィンスキー」として彼の音楽を聴き直してみると、随所にその片鱗を感じられ、すっかり夢中になってしまったというわけです。

よく考えてみれば、どこか芋っぽいロイヤル・リヴァプール・フィルを、あそこまでソリッドな響きに搾り上げた手腕を見ても、ワシリーはスタイリッシュ枠ではなく鬼軍曹枠だったのでは…と。

そうしてNAXOSのショスタコーヴィッチ録音などを聴き返すと、テンポ感や音色など、以前はしっくり来なかった細部も「そういうことだったのか…」と染みてくるようになりました。

チャイコフスキー、ストラヴィンスキーと注目の録音をどんどん行っているOnyxレーベル分も、毛嫌いせずに聴いてみたくなってきました。こういう芸風であれば、比較的痩せた録音でもなんとかなるはず。きっと。


2018/03/18

【CD聴くべ】ブライデン・トムソン賛

大酒飲みだったらしく60そこそこで(指揮者としては)早過ぎる死を迎えたトムソン。

彼の演奏はなんとも言えず、良い。地味だけど誰より熱い。

彼の棒ならなんでも聴いてみたくなるし、ヴォーン・ウィリアムズの一部作品のようにやや冗長というか少々ダサい曲想にも、何故か説得力を持たせてしまう。

youtubeに残された少ない映像を観ると、なんとなくその秘密がわかるような気もします。

感情表現はけしてオーバではなく、激昂したりしない。それでいて斜に構えたところがなく、低回にも陶酔にも陥らずにしっかりと真正面から愛を語るようです。

「言わなくてもわかるでしょ!ここは雰囲気で!勢いで!察して!」という部分は皆無。言いたいこと・言うべきことはキッチリと言わねばならぬ、という感じの棒。

それでいて伊達やヒューモアを忘れないキャラクタ。チャイ5最中のウィンク(6:25頃)のカッコよさといったらない。


そんな、魅力的過ぎる酔いどれトムソンの作る音楽は、ザッツやリズムを切り進めるより音をしっかり置いていくようなマイルドな感触。独特な温かい響きがします。それでいて管楽器の強奏は結構マッシブ。

その分やや腰が重いところがあって、テンポを動かそうとしてもいまいちビビッドに反応しないし、演奏者がノッて来て自然とテンポを上げたい箇所ではむしろ手綱を締める印象が強いです(感覚的にはテンポが遅くなっていくよいうにさえ感じられる)。

トムソンの録音を聴き始めた当初は、この演奏でブルックナーなんかあったら面白いかも、と思っていましたが、しかし彼の音源を追っていくうちに、そうではなく、俗な意味で曲が甘ければ甘いほど、香り立つような煌めきを感じられるように思えてきました。

アイルランド・スコットランド・イングランドの音楽はそんなトムソンにぴったり。

確かに余程のクラオタでも、相性が良くなければアイアランド、ハーティ、バックス、レイトン、バターワース、スタンフォードといった渋いところをまとめて聴くのは難しいでしょう(私は正直難しい。個人的にはウォルトンでさえちょっちきつい…)。

しかし有名どころだけ摘まんでみても、涙なくして聴けないRVW管弦楽作品やエルガーの名演があります。

エルガーの交響曲など1番、2番ともに類を見ないほど遅いテンポでうっとりしたまま卒倒しそうになりますが、トムソンの主観上ナチュラルであることが伝わってくるというか、こだわりは感じさせても、外連味は一切感じさせません。

ネットには、弟子筋にあたるダグラス・ボストックが「(遅いテンポは)いつも酔っ払って指揮していたからだ」と笑ったインタビューの記録もありますが、酔わせてもらってるのは聴き手の方だよ、と言いたい。最高。


交響曲にコケイン、エニグマ辺りの定番に加え、海の絵、ミュージックメイカーズの録音が残っていることに感謝を禁じえません。サンキューCHANDOS。

トムソンが今少し長命であればどれだけ美しい「ゲロンティアスの夢」が聴けただろうか…などと夢想するのも一興です。

補記。

入手が難しいですが、ニールセンとマルティヌーの交響曲全集は、トムソンの剛毅な部分が出た名演。こちらも折に触れて再発されて欲しいものです。

そして珠玉といえるラフマニノフのピアノ協奏曲全集!これもカタログに常駐されて然るべき逸品と言えるでしょう。



2018/02/11

【CD聴くべ】さよならポニーテール「夢みる惑星」

絶対に会いに行けない非実在のアイドル。さよならポニーテールは徹底している。



4thアルバム「夢みる惑星」は、特定の「神様」(イラストレーター)によるビジュアルが終わり、固有の顔・象徴さえ喪ったさよポニの奥の院。

あらかじめ終わっている物語ゆえに、夢や偽りの記憶にこそ色彩が溢れ、リアルに最も現実感がないというモチーフがついに前面に出てきました。

これは、多くのファンが予感している「終わりの始まり」と受け取ることも確かに可能ですが、私はむしろ永久に続くことさえ可能なプラットホームになったと感じられます。



プロデューサーのクロネコ氏はSNSで「概念化」という表現を使っていましたが、さよポニの5人がキャラとして「自立」したとも言えます。

実在の主体・人格と異なり、固有名と、それから髪型や色などの微かな徴だけでそれと同定される不思議な存在に「なる」こと。

そこでは声すら必ずしも同一性を担保するとは限らない。

あゆみんの「卒業」後、新メンバーではなく2代目あゆみんとなった時点で既に兆候はあったというわけです。



そもそもさよポニは青春を歌うが、非実在の、身体性も時間性もない「少女(?)」たちの青春とは一体何なのか。

どこにも存在しない空っぽの青春であるが故に、どんな聴き手の記憶にも憑依してしまう彼女(?)らの時間。非実在は偏在する…。

その効果は、具体的には時間感覚の麻痺、時間性の逸脱として、聴き手に憑依するというのが、私の見立てです。



4thアルバム発表時点ですでに5thアルバム「君は僕の宇宙」が予見されていましたが、5thアルバムに先立つ「遠い日の花火」「センチメンタル」「青春ノスタルジア」のリリースラッシュは、ここでいう「概念化(キャラ化)」と「時間性の逸脱(憑依)」を裏付けるような形態で行われました。

まず、出てくるたびに図像が異なる(=神様(イラストレーター)が異なる)。

おそらく今後も様々な見た目の5人が登場するに違いありませんが、それでもファンは、わずかな徴から、さよポニの5人であることを認識し、親しげに固有名で呼び掛けるに違いありません。



そして何より、時間性の逸脱。

リリースラッシュの発売形態はmp3配信、LP、8cmの短冊形シングルCD。まるで彼女(?)らの青春が過去数十年すべてに存在していたかのような。

個人的には8cmSCDを開封したときの手触りやプラスチックの質感に、自分でもちょっと驚くくらいに強烈な郷愁を感じましたが、こうしてさよポニは40手前のおじさんの記憶にも憑依したのです。

一言でいえば「古今のポップカルチャーへのオマージュ」であるさよならポニーテールの音楽性が、「概念化」「憑依」の特徴をより強調しているのは言うまでもありません。



もっとも、こんな「読解」など全部没交渉にしても、さよならポニーテールの音楽は最高としか言いようがないのです。

そんな曲を前にすると、語るべきことが尽きないような気も、おじさんはただ黙して聴くのみという気もするのですが、とにかく何か言いようのない「切なさ」が去来します。

「切なさ」にうっとりしつつ、おっさんとしての自我を保つために概念化・時間性の逸脱とか言ってみずにいられない…。

それほどまでにさよポニは自分に憑依してしまっているのかもしれません。



いずれにせよ、4thアルバム「夢みる惑星」は言いようのない「切なさ」の度合いが、これまでのさよポニと比して物凄く強い。

最初から最後まで名曲揃いの名盤だし、パッと聴いた感じはポップでもあり、軽くBGMで聴いても良い感じのアルバムです。

しかし、自分の中の何かが、とにかく環境が許す限りの、耳が壊れるギリギリの爆音でこれを再生しろ、と囁くのです。

ほかのさよポニのアルバムではそういうことは感じなかった。

「とにかく爆音推奨」という囁きがどのような音響的・音楽的特徴に起因するのか、ずっと自分の中でクリアになっていませんでしたが(いまも正直なっていませんが)、とにかく「切なさ」を喚起する何か(概念化と憑依の極?)、から要請されるのではないか、と思われてなりません。




収録曲は

1.虹
2.パジャマの神さま
3.放課後てれぽ~と
4.フローティング・シティ
5.さよなら夏の少年
6.一瞬と永遠と
7.ごめんね、わがまま言って
8.恋するAI
9.まわるあのコ
10.わ~るど2
11.さいごのやさしさ
12.円盤ゆ~とぴあ

こうして曲名を眺めているだけで、私は既に切ない。

このうち、「放課後てれぽ~と」は切なさから切り離して単独で楽しく聴けるキラーチューン。

MVも公開されていますが、これがまた滅茶苦茶面白い。

これ、VRですが普通のスマホで見られます。数年後にはみんな真似してるんじゃないかと思います。




週明けには5thアルバム「君は僕の宇宙」が発売されます。

1秒でも早く手にしたい。聴きまくりたい。いまはただそれだけ。


2018/01/21

【CD聴くべ】マーラー交響曲第5番(グザヴィエ・ロト盤)

マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)

2017年2月20-22日
ケルン、シュトールベルク街スタジオ


同じケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団が、マルクス・シュテンツ指揮でOHEMSレーベルに残したマーラー録音とはまったくの別物の響き。

ある種異様なまでの見通しの良さ。それでいて薄味になった感じが全然しない。

シュテンツは言うに及ばず、ほかの演奏とは視座がまったく違うように感じられて仕方ありません。

これまでの演奏が布をパーッと広げて「さぁどう仕立てようか」と腕を振るっていたのに対し、あたかも生糸から紡ぎ出しているような感触。

予め編まれた生地の柄の美しさや鮮やかさで勝負するのではなく、生糸の束が光を反射して輝くニュアンスを見せられているような…。

それほどまでに見えているスケールが違う。



このような、視座がこれまでと異なり過ぎる名演奏を前にすると、たとえば私小説的物語性とか精神性のようなマーラーを語る際の常套句たちが途端に宙に浮き始めます。

比較の対象としてレベル感のアンマッチにより、批評の言葉が陳腐化してしまうのです。これぞ再生芸術の面白さ。

これまでの価値観に押し込めようとすれば「あっさり味」「すっきり系」としか言い表せないかもしれない。

しかしこの演奏・録音がそんな単純な水準にないことは、同曲異演を楽しむ好事家であれば聴き進めるごとに分かるはずです。



ほんとロトの耳、棒は一体どうなっているのでしょう。

どこをとっても演奏に「力こぶや浮き出る血管」感がないのですが、しかし、各パート・演奏者が出している音をつぶさに追えば、実際のキャラクタはシュテンツやキタエンコのマッシヴな指揮(しかもマッチョなOHEMS録音で強調済)で聴かせた重量感のある馬力の強い音であることにも気づかされます。

それをここまで細密な全体像に仕上げるロトの手腕は、まさにマジカル。

とりわけ弦楽器群の精密な処理は一点一画をも疎かにさせないぞ、という凄みがあります。

響き自体はノンビブラートを多用したすっきりしたものにも関わらず、精確なリズム、重なり合う音響のレイヤーなど情報量が多い。

ヘンスラーに録った巨人(ただしオケはSWR南西ドイツ放送交響楽団。合併前)も同傾向の名演でしたが、今回の方がよりびっくりしました。

曲調の差異もあるでしょうし、なによりケルン・ギュルツェニヒ管がこんな繊細に鳴るとは正直想像していなかったからです。



個人的に、マーラーやリヒャルト・シュトラウスにはすっかり食傷を感じるようになった今日この頃でしたが、ロトの新譜はどれもシックリ来ます。

聴くたび、いま自分の耳が欲している後期ロマン派はこういう響きだったのか、とかえって驚かされている始末…。



それに、いま最も信頼のおけるレーベルのひとつであるハルモニアムンディと契約出来たのも大きい。

ハーディング&スウェーデン放送交響楽団もマーラー録音も超楽しみですが、ロトのマーラー続編にも期待が膨らみます。もっこり。



2018/01/07

【CD聴くべ】武満徹管弦楽作品集(山田和樹盤)

武満 徹:
1. オリオンとプレアデス
2. 夢の時
3. 系図 - 若い人たちのための音楽詩 -
4. ア・ストリング・アラウンド・オータム
5. ノスタルジア - アンドレイ・タルコフスキーの追憶に -
6. 星・島(スター・アイル)
7. 弦楽のためのレクィエム

 菊地知也(ソロ・チェロ:1)
 上白石 萌歌(ナレーター:3)
 大田智美(アコーディオン:3)
 赤坂智子(ソロ・ヴィオラ:4)
 扇谷泰朋(ソロ・ヴァイオリン:5)
 日本フィルハーモニー交響楽団
 山田和樹(指揮)


武満徹は自身が単なる職業作曲家に留まらないアイコンであり、文筆やポートレイト、為人含めた総体が鑑賞の対象となっている側面があります。

そのせいか、生前親交のあった音楽家たちによる演奏がどうしても強いオーセンティシティを持っております。

大手レコード会社がそれらを繰り返し再発するのは至極当然なわけですが、そうした状況が武満徹作品の「クラシック化」を妨げているとも言えます。

「クラシック化」とはすなわちテクスト(=スコア)しかないことによる複数化。エクリチュールの効果。数多くの解釈が解き放たれることで「原典」が一義的なテクスト以上の、ほとんど制御不能な「深み」を遡及的に獲得すること。

再現芸術の豊穣はそこから生まれます。

世のクラシックファンがなんとなく識別している「現代音楽扱い」と「クラシック扱い」との差異は、極論すれば複数の録音・複数の演奏へのアクセス可否だけが理由である、と言っても過言ではありません。

聴き易さとかははっきりいって関係がない。それは慣れと聴き手の偏屈な権力意識の別名でしかないのですから。




そうした文脈でいえば、山田和樹&日本フィルによる武満徹管弦楽曲集は、武満徹本人との直接的な親交がない世代の指揮者によるまとまった録音として、武満の「クラシック化」の嚆矢となるものと言えましょう。

「まずスコアが、スコアだけがある」ということの自由さ、のようなものを感じずにおれません。

もっとも、小澤征爾・岩城宏之・若杉弘といったレジェンドたちの録音同様、日本のオケのかっちりしたアンサンブルと細くて金属的な音色が、武満作品には合っているなとも思います。ともすればソフィスティケイトされ過ぎてしまう後期武満徹作品も、良い具合の先鋭さで聴かせます。

(マーラーやブルックナーでは物足りなさにも繋がるそうした傾向も、武満演奏に関してはシックリ来てしまう辺り、もしかしたら演奏家よりも聴き手の耳の方がまだ「クラシック化」されていないのかもしれません。)

そこへ加えて、90年代に盛んに演奏・録音されていた頃よりもオケ全体のテクニックはやはり上がっており、ある種の余裕のようなものが「自由さ」を感じる一因でしょうか。

もともと前衛色の薄い「系図」や「ア・ストリング・アラウンド・オータム」ですが、そうは言ってもこれまでの演奏・録音ではやはりどこかギスギスした感触があったものですが、この録音ではまさに「クラシック側」の響きがします。やはり演奏者のテクニックが上がったことと無関係ではないように思えます。

無論、マエストロ・ヤマカズの解釈の確かさがあっての成果であることは言うまでもありません。



収録曲は「弦楽のためのレクイエム」を除くと後期作品が多いですが、マーラー全曲演奏というそれだけでもキツい仕事と並行していたことを思えば、その偏りも致し方ないところではあります。

EXTONのような特定レパートリーにしか興味のないキャラクタのレーベルに多くを望むのは筋違いかもしれませんが続編をお願いしたいところ。

是非60~70年代の作品も取り上げて欲しいです。てゆうか、DENONでプロジェクトを継続してくれないかな…。

とくに「ノヴェンバー・ステップス」、「アステリズム」、「地平線のドーリア」という、小澤征爾&トロントso盤という巨大な壁のある作品群。

これらのより若くより新しい録音による超克が「武満のクラシック化」には不可欠だと私は思っております。

「若手」と呼ばれる演奏家たちに是非トライして頂きたいテーマです。



それにしても、山田和樹さんの活躍は目が離せません。

今度SONYからブラームスのピアノ協奏曲全集の録音が出る模様。

オケはベルリン放送交響楽団。これはほんとに楽しみです。




2018/01/05

【CD聴くべ】ストラヴィンスキー「春の祭典」(バッティストーニ盤)

2017年に出た「春の祭典」はバッティストーニの最高傑作。

毎年のように名演・名録音が生み出されるハルサイですが、綺羅星の如きスター指揮者・一流オケの録音とも十分渡り合える特徴を持った名演・名録音だと思います。


バッティストーニの表現意欲はけして恣意的には感じられません。テンポ感自体オーソドックスで、変な揺らしはほとんどないですし、心臓が飛び出るようなバカげた音量で迫力を出しているような音でもありません。
(実演ではかなりの大音響だった、という評も目にしましたが、録音上聴く限りはそのようなことはありません。)

むしろ感じるのは楽器間バランスの絶妙さ。

若者がスコアを「こんなリズムもある!」「こんな響きもある!」「ここでこんなパートがあんなことを!」と発見していくような新鮮さを感じます。

「春のきざしと乙女たちの踊り」の弦、「祖先の召還」のティンパニ、「生贄の踊り」のトロンボーンや終結部分の弦。聴きどころが非常に多い。



そのような印象を助長するのが、オケと録音。

アンサンブルが整ったよく言えばシャープな、悪く言えば豊饒さや余裕のないピーキーな東フィルの響き。

ややもすればまとまり過ぎてやせ細って聴こえがちで、マーラーやベートーヴェンではその悪い面が出ちゃっていると思ったこともしばしばでした。

しかし、今回シャープさが「春の祭典」においてまったく欠点になっていません。それどこから、過剰なまでに細部を抉るバッティストーニの仕掛けをクッキリ映し出す効果を生んでいます。

加えてDENONの録音が相変わらずクリアでお見事。

曲と指揮者の解釈とオケと録音のキャラクタがぴったり一致しています。

これを私の場合モニター型丸出しのヘッドフォンで聴くわけですから、解像度の鬼みたいな音で聴こえてきます。物凄く刺激的な音響体験です。



併録の「ウェストサイドストーリー」はハルサイほどに刺激的な音響ではないですが、はじめて振る曲だったというバッティストーニの楽曲把握のセンスの良さみたいなものがビンビンに伝わってきます。

単純にメロディとその伴奏、みたいな一番眠たくなる解釈には陥らず「この響き、この動機を鳴らし切ることで曲が活きる」みたいなポイントをほとんど本能的に掴んでいるような生気に満ちています。

バッティストーニと東フィルの比較的初期のコラボレーション(確かマーラー「巨人」の前半のプログラムだったと記憶しています)ですが、ライヴで聴いた人たちが「凄い才能の指揮者が現れた!」と驚いたのも、こうしたセンスの良さ故ではないかと思います。



今回のハルサイは、個人的にはローマ三部作を聴いたときの感動を新たにしました。バッティストーニ&東フィルの録音プロジェクトは、しばらくこの近現代路線を続けて欲しいものです。

ロマン派や独墺物はもうちょっと響くオケの方がいいかな…と。

既発録音で言っても、チャイコフスキーとラフマニノフは東フィルで、ベートーヴェンやマーラーをこそRAI国立交響楽団で録音すればもっと面白いものが出来たかもしれない、と思えてきます。
(ラフマニノフも、東フィルとのライヴだった「パガニーニの主題による狂詩曲」の方がずっと良かった…。)

何度も同じこと言ってますが、東フィルと「シバの女王ベルキス」をセッションで残して欲しい。






さて、「春の祭典」は毎年のように注目盤・名演名録音が登場し、しかもどれも高水準という活況を呈しています。

最早ベスト盤云々を議論することが不毛なほどに充実した状況といえますが、2018年も早々にシャイー&ルツェルン祝祭管弦楽団、ウルバンスキ&NDRエルプフィルという期待の新譜の発売が控えています。

最近のDECCAのライヴ録音にはあんまり期待していないのでシャイー盤は一旦様子見ですが、ウルバンスキはゲットしたいと思っています。


【CD聴くべ】ウィンナ・ワルツ名曲集(アルフレート・エシュヴェ盤)

とある機会で、超小編成でシュトラウス・ファミリー/ニューイヤーコンサート関連の有名曲をいくつか演奏することがあり、その参考音源を探しておりました。

順当にいけばウィーンフィルのニューイヤーコンサートを漁れば良いのでしょうが、超定番曲だけを集めた年というのは基本的になく、一挙に集めようとすれば自然とベスト盤やコンピレーションになってしまいます。また、言うまでもなくざわざわしたライヴ録音が主です。


じゃあセッション録音で企画された、しかもデジタル期以降の録音がどれほどあるかと思って考えてみると、実はシュトラウス・ファミリーの作品集というのは選択肢が狭いレパートリーです。

で、あーでもないこーでもないと探しているうち、ちょっと前に1000円の廉価国内盤復刻シリーズにあったこの録音を思い出した次第。

指揮はヨハン・シュトラウスにそっくりと噂の(そうか?)アルフレート・エシュヴェ。もうなんか日本ではシュトラウス・ファミリーの音楽以外で一切名前を聴くことはない程にウィンナ・ワルツの専門家。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートはもう世界的なお祭りですしスターや大巨匠を招いて楽しく華やかにって感じですが、こちらはサロン仕様というか、どさまわり上等というか、必要最低限の編成でキッチリ演奏されています。

編成が小さいので細かいところまでちゃんと聴こえるため、参考としてはもちろん、鑑賞用にも結構新鮮です。

また2枚揃えば定番曲はほぼ網羅されるのでお得感あります。個人的には「ジプシー男爵」序曲も入ってれば言うことなしでしたが。

曲目は下記。演奏はいずれもアルフレッド・エシュヴェ指揮 ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団。

<第1集>
01喜歌劇「こうもり」序曲 (J.シュトラウス2世)
02ワルツ「わが人生は愛と喜び」op.263 (ヨゼフ・シュトラウス)
03ポルカ「雷鳴と電光」op.324 (J.シュトラウス2世)
04皇帝円舞曲op.437 (J.シュトラウス2世)
05アンネン・ポルカop.117 (J.シュトラウス2世)
06ワルツ「オーストリアの村つばめ」op.164 (ヨゼフ・シュトラウス)
07ポルカ「観光列車」op.281 (J.シュトラウス2世)
08トリッチ・トラッチ・ポルカop.214 (J.シュトラウス2世)
09ワルツ「美しく青きドナウ」op.314 (J.シュトラウス2世)
10ラデツキー行進曲op.228 (J.シュトラウス1世)

<第2集>
01ワルツ「春の声」op.410 (J.シュトラウス2世)
02かじ屋のポルカop.269 (ヨゼフ・シュトラウス)
03ワルツ「朝の新聞」op.279 (J.シュトラウス2世)
04ワルツ「天体の音楽」op.235 (ヨゼフ・シュトラウス)
05ピチカート・ポルカ (J.シュトラウス2世&ヨゼフ・シュトラウス)
06ワルツ「芸術家の生活」op.316 (J.シュトラウス2世)
07ポルカ「水車」op.57 (ヨゼフ・シュトラウス)
08ワルツ「南国のバラ」op.388 (J.シュトラウス2世)
09加速度円舞曲op.234 (J.シュトラウス2世)
10常動曲op.257 (J.シュトラウス2世)

それにつけても、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者陣(エシュヴェの他には、ヨハネス・ヴィルトナーやマルティン・ジークハルト。あと、何故かフェドセーエフも結構振ってるらしい…)がニューイヤーコンサートを指揮したら、スター指揮者たちの演奏とどの程度違うのか(あるいは違わないのか)興味が出てきました。




2017/12/30

【オレコードアカデミー2017】新譜・旧譜関係なく今年出会ったもの部門④





【オレコードアカデミー2017】新譜・旧譜関係なく今年出会ったもの部門③




【オレコードアカデミー2017】新譜・旧譜関係なく今年出会ったもの部門②




【オレコードアカデミー2017】新譜・旧譜関係なく今年出会ったもの部門①




2017/10/23

【CD聴くべ】エルガー作品集(デュトワ盤)

中古良品を見つけてようやくゲット。

期待に違わぬ名演!

透明で美しく硬派な演奏で、エニグマのクライマックスの華麗さとトロンボーンのカッコよさは類を見ない程。

個人的相対的メインディッシュ(曲が好き&競合盤が少ない)は交響的習作「ファルスタッフ」でしたが、掛け値なしに最っ高。

デュトワももしかしてエニグマよりこっちの方が燃えてる?的に、出だしから凄い勢い。思わず漏れたウッウッというデュトワの鼻息が聞こえます(珍しい)。

その勢いでも透明な質感と抜けの良さがいささかも損なわれることがないオケの上手さ、高品質な録音。うっとりします。

変遷する楽想に、まるで演り慣れた定番曲の如くビビッドに反応するオケは見事の一言。全編でデュトワ指揮下のモントリオール響の機能美・運動性能を満喫。

入手出来てマジでよかった…。



デュトワがとくに有名とは言えないこの曲を録音対象に選んだのは、楽団との相性なのか他に個人的理由があるのか。。いずれにせよ興味深いですが「本場ものじゃないけど存在意義めっちゃある」みが見事に発揮されています。

例えばデュトワのガーシュインもR・R・ベネット編曲の交響的絵画「ポーギーとベス」が入っていて、存在意義めっちゃある盤になってました。結構狙ってる?

エニグマとかガーシュインとか、比較対象多いし多数決取った結果決定盤となることはないでしょうが、無二の魅力と存在感を放っています。

デュトワ&モントリオールsoの演奏・録音には、そういうポジションのものが多い気もしますが、実際そうした演奏が数多くあることがクラシック音楽の豊かさを支えているとも言えます。

ともかくこんな面白い演奏がカタログ落ちしてるのは勿体ないな、て話で、同コンビのチャイコフスキー第4と併せてタワレコ辺りで復活してくれないかと思っています。

ファルスタッフ単体であれば、下記でも聴けますが。


以下余談。

その1。

モントリオールsoは、最近出たケント・ナガノとの諸録音はライヴ録音が多いせいもあり、上手いとは思うもののモッサリ感が拭えず、往年のデュトワ&モントリオールso&DECCAトリオが醸すマジックの再獲得には至っていない印象。いいな~と思ったのはオネゲル&イベール合作の歌劇『鷲の子』くらいか…。

つかDECCAには力入れてセッション録音して欲しいです。マジで。



その2。

全国〇万人のエルガーファン、ファルスタッフファンにおかれましては、待望の新譜発売が控えています。アンドリュー・デイビス&BBCフィルの新録音!やったぜ。

2017/09/02

【CD聴くべ】チャイコフスキー、ドヴォルザーク弦楽セレナード(ベルグルンド盤)

80~90年代からクラオタだった人にとっては、ベルグルンドといえばシベリウス。シベリウスといえばベルグルンド。というイメージが強いのではないでしょうか。

パーヴォ・ベルグルンドが残した新旧3種のシベリウス全集はいずれも金字塔といえるものであります。長く決定盤の名を欲しいままにしてきたし、思い入れや愛着が強い、という人も多いはず。




しかし90年代後半以降、シベリウス演奏には名演名録音が多く、ベルグルンド新旧盤が必ずしも絶対的な地位にあるとは言えません。

(まぁ「往年の名盤」が愛着や思い入れを超えて尚、最新の演奏・録音に対してその地位を保つことが難しいのは、シベリウスに限ったことではないですが。最近のオケと録音はどれも水準が高いので。)

もっともベルグルンドのシベリウス交響曲全集3種のうち後半2種はデジタル録音だし、いまだにヘルシンキフィル盤やヨーロッパ室内管盤が一番だい!という人が居ても全然不思議ではありませんが。



私の場合はストゥールゴールズ&BBCフィル、ヴォルメル&アデレード交響楽団による交響曲全集が目下のところ2枚看板。それにRCAに残された(=LSO LIVEじゃない方の)サー・コリン・デイビス&ロンドン交響楽団の誠に漢らしい全集を加えた、この3組がフェイバリット。

他にもラトル&ベルリンpo、セナゴー、カム、ヴァンスカ新旧全集、オラモ&バーミンガム市so…と綺羅星の如き最右翼候補があって、選り取り見取りであります。


シベリウス演奏におけるベルグルンドは、オーケストラの洗練の歴史の記録という側面を含めて古典となったというのが私の見解。

フルトヴェングラーとかワルターとかいった巨匠の記録と同じように、日常的に楽しむよりは、「歴史」や「時代」を聴くような感触に近い。




しかし、ベルグルンドには未だに唯一無二といえる存在感の録音があります。

同じような演奏が正直見つかりそうになくて、似たようなキャラクタでより優れた最新の録音・演奏で印象を上書きできない…。そんな演奏・録音。

それが、これ。

・チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調 Op. 48
・ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調 Op. 22
・パーヴォ・ベルグルンド指揮
・新ストックホルム室内管弦楽団
・録音: 14-15 July 1983, Stockholm Concert Hall, Sweden

チャイコフスキーとドヴォルザークの弦楽セレナーデ録音。

チャイコの弦セレ出だしから、冷え冷えとした空気感と透明な響きが広がり、美しさに思わず息を呑みます。

圧倒されてうっとりしているうちにドヴォルザークまで一気に聴き通してしまう。

とくにチャイコに関して言えば、この演奏・録音の感触を識って以降、ほかの演奏が芋臭くて聴けなくなってしまいました…。


このCDには80~90年代のBIS録音の、鮮烈で奥行きのある美質が詰まっていて、ザ・BIS、ザ・北欧という音がします。
(もっとも記憶が確かなら、BISではなく違うレーベルから出たものの移行再発だったような、、、?スタッフや機材が一緒だったのかもしれませんが)

粘り強く待てばどんな凄い演奏・録音でも出てくるのがクラシック業界の凄いところではあるとはいえ、これほど北欧の美質を全面に出したチャイコフスキーやドヴォルザーク演奏がそうそう出てくるとは思えません。

いまの自分にとって「ベルグルンドといえば?」「チャイコの弦セレ!」なのであります。

2017/08/11

【CD聴くべ】エルガー作品集(ポール・ダニエル盤)&交響的習作「ファルスタッフ」を含む管弦楽作品集(フィオーレ盤)

最近油断するとエルガー音源がどんどん増えます。

最後にベートーヴェンのCD買ったのがいつだったかすぐには思い出せない(アファナシエフのソナタ集かな?)一方、エルガーのCDは毎月のように増えている気がするほど。

以前からエルガーは好きでしたが、本格的に火が付いたのはオラモ&ロイヤルストックホルムsoの交響曲録音@BISです。

パワフルな金管を誇るロイヤルストックホルムsoを駆ってエルガーのヒロイックで劇的な側面を、北欧的な静謐な表現で超然として自若な側面を、それぞれ極端に拡大してみせたオラモの演奏は衝撃的でした。

その衝撃が、自分にとってのエルガーを「多くの好きな作曲家のうちのひとり」という位置付けから「最も重要な作曲家のひとり」にジャンプアップさせたのでした。

一度その幅広さに気付くと、もう病みつき。しかも、沸いた興味に任せて作品をいろいろと聴くに、どれもこれも名品揃い。

好みや相性の問題は当然ありますが「なんかこれはイマイチかも」と感じる作品がほとんどありません。
(自分にとっての「最も重要な作曲家」グループになる大事な要素。掘れば掘るほど魅力が増す、という。)




好事家の評をつらつら読めば、「小品の人」みたいに書かれていることも多いエルガー。

確かにエルガーが生み出すメロディはあまりにも美しく、建築や長編小説に喩えられるような爛熟した後期ロマン派クラシック音楽の作品とは印象を異にするのは分かります。

しかし自分の感覚ではむしろ、デカい編成でダイナミックに勇壮にやればこそ、そうした美しさが映えると思います。お国柄か、ブラスも結構鳴るし(つか鳴らして!)。

例えば、たまにドラクエとかファンタジーRPG系のカッコイイ音楽が無っ性に聴きたくなる、そんな気分のときがあるものですが、自分の中でそんな気分にぴったんこ(死語)なのがエルガー作品(とくに管弦楽作品)なのです。

そこでストレートにドラクエ聴こかって話にならないのは、なまじクラヲタ耳にはゲームの劇伴は一曲が短くて味が濃く、すぐに飽きがくる割に食い足りなさがあるから。

いわばクラヲタ仕様のドラクエ音楽。それが自分にとってのエルガーの管弦楽作品といえるかもしれません。(それかシベリウスの交響詩ね)



閑話休題。

エルガー作品の録音に関して語り始めたら正直切りがない私なのですが、とりあえず2題ほど。



ひとつは「こういうCDをカタログと店頭に常時ストックしておいてよ!」と強く思う、ポール・ダニエル指揮ロンドンフィルによる録音。

レーベルはSONYでメジャーレーベルですが、90年代終わり頃に録音されUKローカルで発売されたものではないかと思います。それが数年前に再発されて、私のアンテナに引っ掛かりました。

「序奏とアレグロ」「弦楽セレナード」「エニグマ」「威風堂々第一番」と、エルガーの世界への扉を開くのに最高のカップリング。

もちろんどれも人気があって録音にも恵まれている曲たちで、CDショップに行けば名盤・名演が労せず手に入ります。

しかし同時に交響曲やチェロ協奏曲のように、内容最高だが晦渋で渋い曲とのカップリングが多い曲たちでもあるのも事実。

「エルガーも聴いてみたいな」と思う老若男女がまず手に取るCDとしては、このCDのカップリングが一番だと思います。こういうCDをこそ、廉価・ミドルプライスのベスト100シリーズとかに常駐させて欲しいものです。

なんといっても演奏が見事。

ロンドンのオーケストラの強靭でマッチョな金管の響きがエルガー作品には本当によく合います。録音も編集も万全で言うことなし。




そしてもうひとつがなかなか「これ」といった録音に巡り合えなかった交響的習作「ファルスタッフ」について。

「愛の音楽家エドワード・エルガー」HPの記述によればエルガー自身大変気に入っていたという本作ですが知名度も人気もいまいち。録音もエルガーの管弦楽作品としてはかなり少ない曲です。

ファルスタッフという題材にはジュゼッペ・ヴェルディの超名作オペラがあるせいか、霞んで見えちゃうのでしょうか。

しかし私はこれが大のお気に入り。

ごちゃごちゃしてないシンプルなオーケストレーションだけど凄くよく鳴るし、ユーモアやペーソスを含んだ音楽ですが高潔さを失わない名作です。

例えば同様に物語性が強いリヒャルト・シュトラウスの交響詩辺りが、ストーリーや描写以上に、そのあからさまな超絶技巧団体芸がややサーカスじみて感じられるのに対して、題材と音楽だけがある、という充実感。
(リヒャルト作品の演奏って、正直オケが無事に演奏出来るかどうかがまず気になっちゃって、落ち着いて聴いてられないんですよね…。エルガー作品のスコアが簡単だともけして思いませんけども。)



録音については本命(と勝手に期待している)のデュトワ盤はプレヴィンの威風堂々とカップリングでアニバーサリーイヤーに再発されましたが絶賛見送り中。なぜなら普通にエニグマとのオリジナルカップリングのが欲しいから。

別にプレヴィンの威風堂々が悪いとかじゃなくて、デュトワ&モントリールsoのエニグマ「も」超聴きたいのだーって話。

中古良品を探しつつ、再発されるのを待っている状態であります



他に現在比較的入手しやすいものとしてはNaxosのロイド=ジョーンズ指揮のイングリッシュ・ノーザン・フィルハーモニア盤があります。

しかしこれはオケの実力不足が随所に出てしまっています。とくに金管が音を外しがちなのが気になります。

更に何か良い録音はないかと探してNaxos Music Libraryで巡り会い、いま私がファルスタッフのファーストチョイスとしているのが、ジョン・フィオーレ指揮ミュンヘン放送管弦楽団盤。

シェイクスピアに題材を求めた管弦楽作品を集めた一枚で、エルガーのファルスタッフ以外に、ベルリオーズ歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲とドヴォルザーク序曲「オセロ」を収録。

これは録音も演奏も万全。素晴らしいです。ドヴォルザークの「オセロ」も好きな曲なので(銀英伝で使われてたから・笑)、個人的に大満足。

エルガー作品のカタログを10~20年単位で更新し続けているCHANDOSが、サー・アンドルー・デイビスかエドワード・ガードナーと組んで新録音を出してくれるんじゃないかとも思います。期待を込めつつ今日もフィオーレ盤を楽しむのであります。

2017/07/21

【CD聴くべ】グリーグ「ペール・ギュント」(トゥルニエール盤)

グリーグ:劇付随音楽『ペール・ギュント』(1875 全曲)~独唱、合唱と管弦楽のための

ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)
インガー・ダム=イェンセン(ソプラノ)
ソフィー・コック(メゾ・ソプラノ)、他
ヴェガール・ヴァルダル(ハリングフェレ(ハーディンガーフィドル)独奏)
モテ・ド・ジュネーヴ声楽アンサンブル
スイス・ロマンド管弦楽団
ギヨーム・トゥルニエール(指揮)


なんとなくペール・ギュントが聴きたくなり、毎度おなじみNaxos Music Libraryにて乱れ聴き。その中の一枚がめちゃんこ(死語)名演&名録音で物凄く興奮&感動。

それがギヨーム・トゥル二エール指揮スイス・ロマンド管弦楽団盤です。


つーかこれレコ芸2010年度のレコードアカデミー賞で管弦楽部門を獲ってましたね…。

2010年は大賞のアーノンクールのドイツ・レクイエムとクルレンツィスのショスタコーヴィチの印象が強くて、管弦楽部門でグリーグが入っていることを、恥ずかしながら認識してませんでした。

しかし内容を聴けば、さもありなん、という感想。つか、個人的にはこっちの方が大賞にふさわしい(ただしクルレンツィスと同点)とさえ思います。

…と、まぁ、レコアカの件を失念しちゃってたことを見て頂ければ瞭然ですが、私はグリーグ作品を熱心に聴いたり情報収集しておりません。それにしては素晴らしい演奏をゲット出来て何気に超ハッピーな気分であります。

(あるいは日頃あまり強い関心を寄せていないからこそ、超ド級の名盤だけが鈍い琴線を震わすのだと言えるかもしれませんが。)

グリーグ・ファンが「やっぱペール・ギュントは組曲版じゃなくて全曲版に限るよナ!」みたいに言うのはまぁ分かるけど、とくにグリーグ好きなわけでなければ、組曲版くらいがちょうど良いんじゃなかろうか…等と思っていましたが、トゥル二エール盤を聴いて考えを改めました。

やっぱ全曲版、良いです。

ただ、この録音でもセリフはほぼすべてカットしている点は重要。このバランスがグッド。



当盤は極めて良質で美しいセッション録音がとにかくポイント高し。

メジャーレーベルで綺羅星の如きスター指揮者と超名門楽団がソフト制作すると、コストの問題からか大抵ライヴ録音になっちゃう昨今。いくら演奏・録音共に技術が向上しているとはいえ、セッション録音独特の硬質な美感は損なわれてしまいます。

むしろ世界中のオケの実力が上がっている今こそ、ローカルレーベルが通好みの名匠・名楽団を起用してじっくりとセッション録音した方が完成度も上がろうというもの。


実際このCDには、近年のスイスロマンド管弦楽団の充実ぶりがこれでもかと詰まってます。

透明感と滋味と、音色の軽やかさが醸す見通しの良さ。気持ちがいい演奏です。暑苦しさ皆無なのにダイナミック。

そして国際的・商業的にはほとんど無名と言って差し支えない、若い指揮者トゥルニエールの解釈は本当に見事。

結構テンポの落差もある豪快な解釈もありますが(魔王の宮殿にて、とか最高でしょコレ)、迫力一辺倒だったりロマンティック一直線だったりハッタリかましたり…みたいな安直さ・一本調子さは一切なし。

オーケストレーションの仕掛けを強調しつつ誠実に音楽を作り上げていて印象最高です。

現状(2017年7月)目につくところでは、トゥルニエールの録音はほぼこの1枚だけという状況ですが、是非何か「声楽付きの劇付随音楽シリーズ」みたいな続編を出してもらいたい気がします。




P.S.
実は最近のスイス・ロマンド管弦楽団にはちょっとハマってます。

ヤノフスキのブルックナーとかマジで最高ですし、個人的に苦手なパパ・ヤルヴィもこのオケの響きと合わさるとなんかイケちゃう。ヤマカズとの録音はまだ全然買えてませんが(つか我慢してましたが)、このグリーグ聴いてたら段々欲しくなってきてしまいました。

まだ聞こえてこないジョナサン・ノットとの録音活動が出てきたら飛びついちゃうなコレは…。Pentatoneさんよろしくです。


2017/05/06

【CD聴くべ】ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」他(ウルバンスキ盤)

NDRエルプフィル音楽監督ヘンゲルブロックはここ最近、ドヴォルザーク4番とかマーラー巨人ハンブルク稿、メンデルスゾーンの協奏曲異稿など、やや変化球気味のレパートリーでリリースが続いていたのでなんとなく指向性をつかみ損ねておりました。

しかし先般出たブラームスチクルス第1弾(3番&4番)、メンデルスゾーン「エリヤ」(こちらはバルタザール=ノイマン・アンサンブルとの録音)の充実した内容を聴いてその実力にあらためて感服した次第。

NDRエルプフィルと長期政権を維持、あるいはドイツの名門オケの指揮者を歴任して録音活動が順調に継続されるようなら、新鮮さが売りの中堅(実際は60近い実績十分のベテランですけど)ではない、新時代にマッチした独墺系の王道を確立するかもしません。
(後日追記。NDRエルプフィルとは契約延長せず、とのこと。)

いまはやや趣味が克った感じのレパートリーが多いので王道感はあんまり出てませんが。。

NDRエルプフィルに関して言えば、むしろ客演指揮者ウルバンスキの方が王道レパートリーを担当しているような形になってます(録音・リリースのタイミングってだけの話でしょうけど)。

しかも刺激的且つフレッシュに。

ドヴォルザーク:
1. 交響曲第9番ホ短調 Op.95『「新世界より』
2. 交響詩『英雄の歌』 Op.111

クシシュトフ・ウルバンスキ指揮
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団

録音時期:2016年6月21-24日(1)、2015年12月10,13日(2)
録音場所:ハンブルク、ライスハレ
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


ウルバンスキの演奏は才気煥発。この「新世界より」も鮮烈です。

「流す」ことなく「流される」ことなく、超のつくほど有名なこの曲と名門オケに対峙しています。

確かに流麗な響き・演奏なのですが、解釈に一本調子な感じはまったくなく、木管や弦のちょっとした動機・細部を疎かにしないところが絶妙。

また、フォルテや漸強部分で、(音量/厚み/テンション的に)頂点に来たかな、と思わせつつ、実はもうひと押しの予備兵力を隠しており聴き手にとどめを刺しに来る感じに興奮し切り(印象的だったのは3楽章4:43~45頃、終楽章10:05~頃など。他にも細かくいくつかある。強奏でのtuttiが収まったあとのピツィカートや木管の動機が妙に鋭かったり)。

周到に、冷静に、しかしエキサイティング。ジャケットのポートレートの眼光と併せて超惚れる演奏。

NDRエルプフィルは北ドイツ放送交響楽団と呼ばれていた頃から聴かれる、往年の重心低め・暗めの音色を残していますが、響きにごちゃっとしたところがなく、演奏全体の印象・聴後感も団子ではありません。

録音自体は残響とか会場の空気感も結構取り込んである感じ(優秀録音です)で、けしてオンマイクバッキバキでないにも関わらずこのバランス感。オケの奏者個々と指揮者の耳の優秀さが伺えようというもの。

慎重にレパートリーを吟味し、じっくり勉強した曲はリハーサルから暗譜で振るというウルバンスキの評判通りの演奏といえます。すべての音、フレーズが意識されていることが伝わってくる。

そして強奏時における豪壮で直線的な響きが快感度高し。

金管群はヘンゲルブロックとの諸録音よりパワフルに鳴っています。しかも単に強いというわけではなくシャープさを維持したままなのでエッジが効いててナイス。


演奏からは離れますが、カップリングが知名度はイマイチだけど傑作「英雄の歌」てのもポイント高いです。NDRエルプフィルみたいな名門オケの演奏で聴けるのは嬉しい。

以前は選択肢というとアントニ・ヴィト(つかウルバンスキのお師匠さん。得意なレパートリーが結構継承されている印象。キラールとかルトスワフスキとか)盤くらいしかありませんでしたが、ネルソンス盤などもあっていい演奏で聴けるようになってきました。


さて、けしてなんでも屋というわけではないウルバンスキ。

東響と披露したレパートリーのいくつか(春の祭典、チャイコ、ショスタコ、モーツァルト、ベートーヴェン…)はすぐにでも録音できる水準にあると推測。

是非NDRエルプフィル&この録音スタッフで残して頂きたいものです。つか、ツァラの録音はいつ出るのだろうか。



2017/04/02

【CD聴くべ】イベール作品集(N・ヤルヴィ盤)


デュトワのイベール作品集に言及した際、否定的に取り上げた本盤ですが、その後すっかり評価反転。

私の方の意識のスイッチを幾つかパチンと切り替えたところ、超大好きになっちゃいました。

きっかけは山田和樹指揮スイス・ロマンド管弦楽団の来日公演の映像を何気なく見ていて、響きのいい意味での軽さが印象深かったこと。

塊になるのでなく、なんとなく個々の演奏者の音がつぶつぶと残っているような。そういえばヤノフスキとのブルックナー録音が好きな理由もその音色感でした。

その流れでスイス・ロマンド管弦楽団の近作をいろいろ物色していて、本番に「出会い直した」というわけです。

以前聴いたときはいまいちしっくり来ませんでしたが、響き・音響方面から本盤にアプローチしてみよう、とNMLで何度か聴くうちにすっかり虜になった次第。



なんといってもCHANDOSの超優秀なセッション録音が素晴らしい。

その観点で聴けば、一聴してぶっきらぼうに感じられた演奏がニュートラルで見通しのよい演奏に思えてきます。

父ヤルヴィのシャープに締め上げるわけでも、情緒纏綿に粘るわけでもない芸風が、響きの指向性とピッタリ合っている気がしてきたというわけです。
(これがロイヤルスコティッシュ管とかだと武骨さが勝ち過ぎてなんならちょっと雑さを感じてしまうのですが…)

なんといっても祝典序曲がこれほどの名演奏・名録音で聴ける機会が今後それほど増えるとも思えず、その意味でも本盤に開眼できたのは良かったです。

寄港地やディベルティスマン、木管アンサンブル等は今後もそこそこ出てくるかもしれませんが、「祝典序曲」や「交響組曲パリ」の新録が多かろうはずもなく…。

イベールの名演というと、マルティノン&フランス国立放送管、デュトワ&モントリオールso、大植英次&ミネソタsoといった辺りが思い浮かぶところで、シャープでお洒落という先入観があったのですが、ヤルヴィ盤のような方向性もいいな、と思えるようになりました。

つか、おそらくフランス風・パリ風というのはどちらかというとこういう質感なのだろうな、と。集団としてのキレより、バラバラ感が齎す程よいもっさり感みたいなもの。




2017/02/12

【CD聴くべ】青少年のための管弦楽入門

ある夜、ベンジャミン・ブリテン(←大好き)「青少年のための管弦楽入門」(←大好き)が無性に聴きたくなり、手持ちのP・ヤルヴィ&シンシナティso盤を引っ張り出しましたが、どうにもしっくり来ずモ~ヤモヤ。

ホルスト「惑星」あるいはエルガー「エニグマ」&ブリテン「四つの海の間奏曲」(2種類のカップリングが存在する)は名演だと思いますが、「管弦楽入門」だけは細部の甘さみたいなものがちょっと気になります。

溢れるインスピレーションに賭けて感興の赴くままにオケを駆るパーヴォ・ヤルヴィは、オケのポテンシャルを刺激して新鮮な響きを生み出すマエストロです(と思う)。

しかしここでは、腰を据えてカッチリ演奏を構築するタイプではない(と思う)点が悪い方向に出たかもしれません。

「管弦楽入門」は、青少年向けに管弦楽の魅力を伝えるための入門曲であって、青少年でも演奏し易いとかいう意味での入門曲ではまったくなく、むしろ演奏困難曲。主題の影響か、曲相が醸すイマジネールなスケールも意外と大きいので、各ソロは繊細さよりも骨太さが欲しい曲だとも感じられます。

シンシナティ響は技術レベルが低いオケではけしてありませんが、ドライヴしよう/させようとしてキャパオーバーしているように思えてなりません。



そんなモヤモヤを払拭すべく「管弦楽入門」の新しい音源を探して、私にとってのリファレンス/旗艦盤とすべしと思い立ちましたが、今回はなかなか難航しました。

まずはNaxos Music Libraryへログインして片っ端から試聴したのですが、あらためて自演盤の凄さを実感することになります。

自演盤における主題トゥッティやフーガにおける豪放な金管の響き・強靭なリズムには

「若者向け教育映画用の音楽<青少年のための管弦楽入門>」

という概要から想像させるライトなイメージはなく

「各変装に独奏楽器をフィーチャーした実験的管弦楽作品<パーセルの主題による変奏曲とフーガ>」

として堂々と響く見事なもの。

半世紀前の収録ですがロンドン響の上手さ巧みさはさすがです。

オケの技術レベルは世界中で年々底上げされていることは確かですが、「管弦楽入門」を十全に演奏するのは難儀で、質まで含めて彼のロンドン響の演奏を越えるのはなかなかに難しいミッションと言わざるを得ません。

確かに録音の古さはネックで、S/N比やピーク感など時代的限界が隠せません。とはいえ、優秀録音で鳴らしたDECCAの名は伊達ではなく、分離良く明晰な音はなんならデジタル期放送局音源の微妙なライヴ等よりある意味で優れていると感じられるほど。



事程左様に、「管弦楽入門」に限らずブリテン作品は自作自演盤の地位が相対的に高いことはある種の悲劇であります。
(むろん、作品にとっての悲劇ではなく、新しい録音優先でリファレンス/旗艦盤を探す私にとっての悲劇というべきですが。)

・ブリテンが指揮者として超一流(モーツァルト演奏の素晴らしいことと言ったら…)
・競演者も皆一流(ロンドン響、イギリス室内管、スヴャトスラフ・リヒテル、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチetc)
・録音は確かに古いが、DECCAが誇る優秀ステレオ録音によるセッション収録

といった理由により、後続録音に対するアドバンテージが大き過ぎるのです。

近現代作品の自作自演盤(あるいは初演盤)には、はじめの一歩を踏み出した者だけが持てるアドバンテージ(言語化が難しい「熱」みたいなもの含め)が何かしらあるものですが、技術的問題があって演奏がグズグズだったり、ライヴで録音条件が悪かったりといった事情で、後続録音によってはじめて真価が分かることはけして珍しくありません。

しかしブリテン作品に関しては自演盤のクオリティが高過ぎることが「問題」なわけです。初手で比較対象の壁が高過ぎる。

私の「管弦楽入門」リファレンス/旗艦盤探しの泥沼化も、そこに起因しております。



今回検討対象となった諸音源をいくつか。

まずNaxos Music Library乱れ聴きの中から、ベルナルト・ハイティンク&コンセルトヘボウ管。

技術的にはヨタヨタしているものの、終始落ち着いたテンポとキンキラしてない燻し銀の音色が魅力。

その辺、イングランドマナーでなくヨーロッパ大陸マナーに貫かれています。比較的米英のオケによる録音が多い「管弦楽入門」にしては異色な存在といえるかもしれません。とにかく音の質感が印象に残った一枚。

ただ、録音が特別新しいわけでも良いわけでもなくリファレンスとしては選外。入手も困難だろな、と思っていましたが、そこはタワーレコードが意欲的に進めている独自リリースにラインナップされています。ナイス。



もう一枚似た例があって、それが日本とも縁の深いオンドレイ・レナルト盤。

オケはMarcoPoro/NAXOS黎明期のカタログを支えたブラティスラヴァのスロヴァキア放送交響楽団。

このオケは多様なレパートリーで膨大な録音数を誇りますが、そのほとんどで技術的限界を露にしてきた歴史があります。「録音がめっちゃ多いけどあまりお上手とはいえない楽団選手権」では殿堂入り間違いなしの迷門。

正直ここでも青息吐息。

音程もリズムもアンサンブルも…なんなら楽器そのものの質(田舎の高校の吹奏楽部が10年前に部費で買った量産型の楽器みたいな音というか)も怪しげな箇所が頻出。そのたびに聴く側も「がんばれ~」とつい力が入りつつ、どうにかこうにかミッション完遂している感じ。

ハイティンク盤以上のヨタヨタっぷりですが、子供向けレパートリーを集めたこのアルバムにおいては、それが朴訥とした愛嬌にも感じられます。贔屓目に見れば「鄙びていてヒューマニスティクな演奏」と言えないこともない。

教育映画というより紙芝居みたいな「管弦楽入門」。

ライヴではともかく録音ともなれば一聴して技術的限界を感じさせてしまうオケなので、サンプルとしてやや極端かもしれませんが、東欧オケの特徴がよく出ていると言えます。

とくに、ロンドン響では顕著に感じられるブラスのエッジはほとんどなく、丸く溶け込む音色です。

たとえばフーガ終結部分のトランペット。ロンドン響の演奏では全体から突出し、単独で輪郭がはっきり聴こえますが、レナルト盤では「一列横隊の隊列から一歩前に出た」程度にしか出てきません。音も柔らかく溶け込んでおり、全体のなだらかな稜線として輪郭を形成します。

オンドレイ・レナルトは今は亡き新星日本交響楽団への客演はじめ日本でも活躍して根強いファンがおります。こういう素朴な感じにヤられちゃう気持ち、なんとなく分かります。

レナルト氏は確か、チェコフィル音楽監督に請われたが固辞してプラハ放送交響楽団の指揮者に就任していたはずですが、録音情報は目にしたことがありません。どっかからチャイコとかマーラーとか出してくれたら是非聴いてみたいところ。

ラドミル・エリシュカの人気を見ても、東欧の名匠に妙な親近感を覚えるのが本邦のクラヲタの性のひとつ。ポスト・エリシュカとして、レナルトなら日本独自企画でもマニアは結構食いつく気もします。つか、私が聴きたい。



さて、大陸風のふたつの演奏は確かに面白かったのですが、ブリテン自演盤の名演を実現したロンドン響は一頭地抜けている印象を新たにしました。

とりわけ骨太で輪郭がはっきりしたブラスの響きは魅力的で、彼の楽団によるブリテン演奏からは他にはない説得力を感じます。そこで「ロンドン響を越えられるのはロンドン響だけ」とばかりに、同楽団の新しい録音を探すことに。



そのひとつが数年前に復刻した名匠マッケラス&ロンドン響盤。

やはり素晴らしい。ロンドン響によるブリテン演奏の良さをあらためて実感します。

必ずしもテンポが遅めとかってことはないのにガツッと来ます。フーガも低回趣味に陥らずオケの底力を見せ付けつつ思い切り良くフィニッシュ。

並録の「ピーターと狼」(つか、こっちがメインか)、「魔法使いの弟子」も名演で満足度高し。「管弦楽入門」と「ピーター」にはナレーション入り。

ただ録音はもうちょっと頑張って欲しかった部分で、編集が粗いのか時折リミッター掛かるみたいになります。ナレーションをかぶせるためのダブかなんかでしくってるのだろうか…。

まぁ我慢できないことはない範囲ですけれども、モニターヘッドホンでの聴取が主力の身からするとリファレンス/旗艦盤としては厳しいです。惜しい!



こうなるとロンドン響縛りでは現状選択肢はほぼ一択です。スチュアート・ベッドフォード&ロンドン響盤。

なんとなく流れで消去法のような書き方になっちゃってるかもしれませんが、さにあらず。それどころかむしろ最初にチョイスすべき「血統」の一枚といえます。

共同作業者としてブリテンからの信頼も厚かったスチュアート・ベッドフォードの指揮は確信に満ちており、自演盤の衣鉢を継ぐ名演奏。

実際、パート間バランス・テンポ感など、解釈面でかなり自演盤を意識しているように感じられます。ブリテンの自演を最新録音で聴けばきっとこのようになるでしょう。

自演盤ほどのキレや迫力が感じられないとすれば、DECCAによる60年代ステレオ録音の限界が醸す効果としてのピーキーさと見るのが公平です。

音源はCOLLINS原盤でNAXOSから移行再発されています。時折変な録音もあるCOLLINSレーベルですが一連のブリテン録音に関して問題は感じません。



というわけでベッドフォード&ロンドン響盤でリファレンス/旗艦盤はフィクス。あとはそれを中心に据えて戦力補強です。




まずはラトル&バーミンガム市響盤。

ロンドン響に転出した暁には、あらためてブリテンチクルスに挑んで欲しいと思っているラトルですが、バーミンガム市響時代に既に戦争レクイエム含むアルバム数枚分の録音があります。
(ベルリンフィルともボストリッジと組んだ歌曲集録音あり)

「管弦楽入門」も名演です。

確かにロンドン響と比較すれば華やかさでちょっと見劣りしちゃいますし、最後のフーガが勢い込み過ぎて自分のツボに入るテンポより僅かに早く感じられます。

まぁでもそんなとこも含めて才気煥発で楽しい演奏であることに間違いありません。



新譜もひとつ。

メインはサン・サーンス「動物の謝肉祭」。ウィーン交響楽団の客演指揮者ラハフ・シャニ(2016年11月時点)が指揮したライヴに、珍しいドイツ語ナレーションを後付け。ナレーションのトラックを飛ばせば音だけ聴ける親切なコンセプト。

「管弦楽入門」に関しては冒頭で素っ頓狂な感じのナレーションが入るだけで、後はオケのみのトラックです。

大陸マナーの演奏として、かなり好印象。角が丸く柔らかいですがグズグズではないウェルバランス。フーガも超速で押すだけでない落ち着いた演奏だし、結構お気に入り。

尚、これはウィーン交響楽団自主製作盤。フィリップ・ジョルダンとの未完成&ザ・グレートや悲愴も素晴らしかったので、個人的に結構注目しています。

そしてラハフ・シャニは若手も若手、まだ20代後半(2016年時点)。

彼は既に来日済で、読売日響を指揮しております。ウィーン交響楽団の現首席指揮者フィリップ・ジョルダン(←大好き)もまだ40代前半と若いマエストロですが、客演指揮者は輪を掛けて若い。
(まぁ中堅以下の楽団が高額報酬の老巨匠をほいほい招聘出来るほど全体の景気が良いわけもなし、ポストには若手を起用してスポットでスターを呼ぶ、というのが世界的な潮流といえるのかもしれません…。)

「動物の謝肉祭」ではピアノも披露している由。少し調べたところ、イスラエルフィルにコントラバス奏者として在籍していた経歴もあるとのこと。へえ~。



ところで、クラシック音楽でナレーションやポエトリーリーディングが入る曲はいくつかありますが、なぜ著名声優を起用して出さないのか不思議ではあります。

ラトル&ベルリンフィル「くるみ割り人形」で石田彰&釘宮理恵を起用した絵本付バージョンが出てましたが、そっちの線は結構掘り甲斐があるはずだよな、と思っています。

ブリテン「管弦楽入門」、プロコフィエフ「ピーターと狼」、プーランク「子象ババールの物語」といった定番はもちろん、劇付随音楽と呼ばれる一連の作品群は皆候補になるでしょう。

ベートーヴェン「エグモント」、サティ「星の王子」、メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」、ビゼー「アルルの女」、グリーグ「ペール・ギュント」、フォーレ「ペレアスとメリザンド」、シベリウス「ペレアスとメリザンド」etc..

変化球では武満徹「系図」(←正直これこそ声優版で聴きたい。)とかベルリオーズ「レリオ」。なんならもうヴィヴァルディ「四季」のソネット読んじゃうとか。

とくに朗読を入れることが一般的でない曲でも、具体的なストーリーがあるものなら台本作って入れちゃえます。件の「くるみ割り人形」のようなバレエ音楽も大抵行ける。

同じ音源を使いまわして声優を替えてバージョン違いで出す、有名絵師と組んだブックレットを付ける等の商売の芽もある(ちょっち阿漕だけど)し、もういくらでも掘れる分野になる気がしてきます。

最後、余談でした。

2017/01/15

【CD聴くべ】げんそうっ!

ベルリオーズ幻想交響曲に関して、2016年に出たハーディング&スウェーデン放送響盤が10年に1枚レベルの名演・名盤です。

隅々まで考え尽くされており、それが演奏面でも徹底されています。

セッション録音の強みを最大限に活かしており、局面ごとの情報量が多い「聴くたびに発見がある」型の名演・名盤。何度も聴き込んでいきたい逸品です。

その徹底ぶりは、流しでやってるところはひとつもないんじゃないか…と思わせるほどで、いちいち感じ入ってしまいます。

確かに理知的な印象が勝つ演奏なのですが、終楽章に入ってからギアチェンジして猟奇的な凄みを発揮する演奏設計は筆舌尽くしがたい。

むろん幻想自体がそのような物語で構成されているわけですが、ハーディング盤は前半部分の細部の詰めが徹底していることもあり、理性と知性を突き詰めることで狂気に至ってしまったようなゾッとする恐怖感さえ漂ってきます。



オーケストラ音楽というのは、その成果(あるいは瑕疵)の責が奈辺にあるかが分かりづらい音楽です。当事者にしか、あるいは当事者にも分からないことさえあります。

しかしこの幻想交響曲ハーディング盤に関しては、指揮者の拘り、解釈、指示がかなりギシッと詰め込まれています。オケも結構絞られたのではないかと推察します。

なお、2楽章ではコルネット入り。終楽章の鐘はチューブラベルではない。教会の鐘を別録りしたものでしょうか、低次倍音を多く含んだ雰囲気たっぷりの音で理想的です。





さて、ハーディング盤はあまりに素晴らしいので、自分の幻想交響曲ライブラリをハーディング盤を基準に見直しを掛けはじめています。同曲異演盤をたくさん持ってればそれで充足するというものでもありませんで…。



その一環として、ハーディング盤では聴けないある演奏上の特徴についてマッケラス&ロイヤルフィル盤、デュトワ&モントリオールso盤を(再)確保した次第。

その特徴とは終楽章終盤にて、弦と木管群が半拍ずらした2拍3連を開始し、やがて金管・打楽器が表拍からの2拍3連で被さってきて、オーケストラ全体が阿鼻叫喚になるめっちゃアガる箇所(マッケラス盤7:45~7:52頃/デュトワ盤8:12~8:20頃)。

の、直後。

ここでホルンが突出して最後までフォルテで吹き切るのが大好き(マッケラス盤7:53~7:57頃/デュトワ8:21~8:25頃)。



この演奏解釈(というか処理というか判断というか)については、かつてポール・パレー&デトロイトso盤(7:08~7:13頃)で聴いて以来「ここは是非そうして欲しい」ポイントのひとつ。

パレー盤は全体の快速テンポが独特ですが、それよりも一番印象に残ったのがこの箇所なのです。リズムのマジックでアガったあと更にホルンの咆哮でもう一段アガる「たたみ掛け」が超最高。



「たたみ掛け」が聴ける演奏はけして多くなく、ざっと聴いた範囲ではマッケラス盤とデュトワ盤くらい。他にもあったとしても数える程しかないと思われます。
(あったらTwitterとかで是非教えてちょんまげ(死語))

管打の音量バランスはオーケストラのプレーヤー側の裁量や個性に依存する側面「も」大きいもので、細部はオーケストラのキャラクタが強く出がちだと思います。一音一音バランス調整しながら作っていたら1曲仕上げるのに何ヵ月掛かるか分かりません。

しかし該当部分の「たたみ掛け」はおそらく、指揮者がピックアップして意図的に調整しないと発生しないのではないかと推測。なんとなくですけど。ええ。



尚、マッケラス盤については名手ジェフリー・ブライアントの蛮勇がそのまま残った可能性も否定できません。

いくらロンドンのオケはブラスが力強いといってみても、90年代ロイヤル・フィル自主制作盤において時折炸裂するホルンパートのアレは際立っています。

その印象が強烈過ぎるので、彼が離れた辺り(97年)以降のロイヤル・フィルの演奏は魅力に乏しく感じられて仕方ありません。

90年代のアレはジェフリー・ブライアント一人だけがどうこうって話ではないかもしれませんが、いずれにせよ2000年代以降、仮に自主制作音源であってもアレは聴かれなくなります。

十分立派な音出てますし、たま~に「おっ」と思う名残りが聴かれるときもあるとはいえ、ロンドン的な普通になったとでもいいますか。普通って何よ常識って何よって話ですけど。



もっともブライアント在籍期間の他音源で常に同様だったかと言われるとそうでもないし、自主制作盤でも毎回アレってわけでもないので、アレは自主制作をいい事にやってた「遊び/悪乗り/実験」で(例えば「mfとf/ffの落差を、音量だけでなく吹き方まで含めて極端につけてみるべさ」「ここはホルン的に美味しいから全部持ってこうゼ」みたいな…)、しかも「指揮者が特に制止しないorノリノリだった」ときだけ残った記録の可能性があるとは思います。

いくらなんでも極端なのですが、アレがめっちゃくちゃ快感なのも事実。真似する人たちが世界にもうちょっと居ても良いのにナと常々思っています。

あまり類例がないのは、体力的・技術的に無理!てことなのか、流石にやり過ぎで下品だからヤダ!てことなのか…。



幻想交響曲マッケラス盤に話を戻すと、「たたみ掛け」以外はハーディング盤と比較しちゃうと良く言って磊落、悪く言ってルースな演奏に聴こえます。

まぁこの場合、比較対象たるハーディング盤の細部への拘り具合がヤバ過ぎるという事情があるとはいえ、こうした印象の積み重ねが、ロイヤルフィルよりロンドン響やフィルハーモニア管が一枚うわ手に感じられる要因ではあります。
(あくまでも個人の経験の範囲における、しかもライヴでなく諸録音からの印象ですが。ライヴではそこまで気になることはないでしょう。普通に上手いし)




ちなみにデュトワ盤も、マッケラス盤にも負けないほど該当箇所を強力に吹き切っております。

注目して聴かないと意外とスルーされがちな特徴かもしれませんが、終楽章の演奏自体が勢いに任せず落ち着いたテンポによる堂々としたものなので、そこだけがピックアップして印象に残るということがないのだと感じます。

ストーリー性より演奏の全体的な立派さが印象的。この辺、デュトワ&モントリールsoは硬派だなって思う所以。

デュトワの幻想は、全編に亘りルースさがなく彼のコンビを代表する名演のひとつといえます。総合的に見てマッケラス盤よりも上位に置きたいところ。

オケの響きに濁りがなく明るい音色で各パートがよく聴こえ、テンポも比較的落ち着いて感じられることが多い(BPM自体はけして遅くないはずですが)演奏に対して、しばしば「おフランス風だ」みたいな言われようをされたりしますが、私見ではフランス風という形容は不適当だと感じます。

各楽器がバラバラの方向を見ているような、風通しが良いのに全体としてはごちゃっとした重さもある…。そんな響きが特徴的で愉しいフランスのオケとは感触が異なるからです。

デュトワがモントリールsoと実現した音はもっとシビアで独特な音作りです(とくに80年代)。

統制され引き締まったリズムと透明で重力を感じさせない軽い音色のマリアージュ。とくに全パートに亘って徹底される音色の透明な軽さは、フランスオケ全般に意外と苦手とする印象が強い。フォルテでもその軽さを失わないのはマジックとしか言いようがありません。

「フランスのオーケストラよりもフランス的な」という評は、宣伝文/コピーとして名文句で、かつて私もシビれましたが、名文句ゆえにこそデュトワ&モントリールsoコンビを誤読(聴)させた側面もあるかな、とは思います。

いずれにせよこのコンビの凄さは結構クラオタ歴を重ねた後で聴いたときに真にガツンと来る感もあり、パッと見のイメージがライトな分、内実の強度にびっくりするにはそれなりの経験値(比較対象を多く知っている、という程度の意味ですが)が必要な気がします。

2017/01/01

【オレコードアカデミー2016】クラシック以外&中古品等落穂拾い






何故かはわかりませんが、今年は例年以上にクラシックを聴いた年。非クラはあんまりノミネートなし。

ただMoe and ghosts「幽霊たち」はなぜこれまで聴いてなかったか自分でも不明な(youtubeで聴き過ぎ?)ほどに感激した一枚。やっぱアルバム買って聴かないとダメですね。ほんと最高。

ラジオを毎週聴いているのでなんだかたくさん聴いた気になっている菊地成孔関連ですが、買ったのは大西順子さん復帰作とガンダムサンダーボルトくらい。TABOOレーベルの新譜はいろいろ準備中のようなので鶴首。

菊地さんラジオ「粋な夜電波」で昨年(2015年)存在を知って好きになったジー・サティスファクションは去年未入手だったアルバムもゲット。やっぱ最高。



欅坂46「二人セゾン」はその1曲だけがお目当てだったのでレンタル。12月のある一時期ドはまりしたので滑り込み。さすがに集中的に数十回聴いて落ち着きましたが…。

最近のアイドルソングは曲がちょっと複雑過ぎ(の割に歌唱が大人数でのユニゾンだったりしてちょっと音楽的に変)だと思うのですが、この曲はサビの一点突破て感じの直球な構造でズキュンと来ました。サビを頂点にあとはシンプル且つ丁寧に繋ぐことに徹して、あまり難しいことをしない。アレンジも超好き。つか、歌番組での衣装・踊り・振付さえもすごくツボ。



ん十年前の録音でなんで今更?みたいな音盤もいくつか。

小澤&ボストン響、アンサンブル・ウィーン=ベルリン、シノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデン。

これらはでも、聴き直しとかじゃなくて今年はじめて聴いたもの。

こういうパターンは大抵、急に「特定の曲が聴きたい」「でもなんか良いCD持ってない」「何かないか?!」となって探してゲットしたもの。

小澤&ボストン響は「真夏の夜の夢」全曲探しの結果、アンサンブル・ウィーン=ベルリンはラヴェル「序奏とアレグロ」探しの結果、、シノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデンは「大地の歌」「四つの最後の歌&ヴェーゼンドンク歌曲集」探しの結果、と。




「再生環境変化に伴う魅力再発見」シリーズを挙げるときりがないので、それは今回対象外にしてますが、サイモン・ラトルのEMI音源、とくにベルリンフィルとの近作はかなり聴き直しました。

私も御多分に漏れずEMI録音をdisってきましたが、いや、そこまで酷くもない…か…な?と。つか、自分の再生環境のイマイチさを棚に上げてましたスイマセン。という気持ちが今は克っております。ごめんねEMI。

特大の自戒を込めて言えば、EMI録音批判者のご意見はごもっともなれど、単純に再生環境の問題て可能性があることを一度考えてみるべき。

【オレコードアカデミー2016】新譜・旧譜関係なく今年出会ったもの部門③





ランス・フリーデルのブルックナーについてはこちら。オーロラ管弦楽団のフィンジ作品集についてはこちら。ウルバンスキのルトスワフスキについてはこちら。を、それぞれ参照のこと。



ベルトラン・シャマユのラヴェルも遅まきながらゲットしヘビロテ。



ストゥールゴールズのニールセン交響曲も、ようやくゲット。素晴らしい内容でしたが、ニールセンに関してはBISのオラモ盤の充実ぶりが半端ないのでやや影が薄くなります。



なお、オレコードアカデミーに大賞とかってのはないのですが(評価は日によっても違うし…。数日前なら欅坂46「二人セゾン」になってた)、もし決めよ、となればハーディングの幻想交響曲か、フリーデルのブルックナー第5のどちらかだったと思います。

ハーディング盤はとにかく度肝を抜かれました。まぁこの盤についてはまたあらためて。

フリーデル盤は、マイナーで見過ごしてしまうところだったのが予想外にハマったので、内容も去ることながら大賞にして広く推薦したい録音です。




「再生環境変化に伴う魅力再発見」シリーズで、今年は妙にデュトワの録音を聴いておりました。だいたいこれまで持ってたもの、聴いたことがあるものでしたが、ボレットとのショパンのピアノ協奏曲は実は今回初聴き。

つーか、ショパンのピアノ協奏曲自体、ほとんどまともに聴いたことがありませんでした。巡り合わせがなんだか悪くて…。

デュトワ&モントリオールso&ボレットの録音はショパン、チャイコフスキー、ラフマニノフとありますがどれも独特の魅力があって癖になります。



フライブルク・バロックo.のバッハ録音でも言及したアンドレアス・シュタイアーのゴルトベルク変奏曲もゲット。言うことなし。最高です。



父ヤルヴィのイベール作品集については、以前否定的に取り上げておりましたが、その後評価がくるっと逆転して大のお気に入りに。自分の側のチャンネルを少しいじったというか…。これもいずれ頁をあらためて。



ここ数年継続して「メンデルスゾーンをじわりと責める」というテーマが自分の中であるのですが、今年はパブロ・エラス=カサド&フライブルクバロックo.による録音(鮮烈!)をゲットすると共に、ガーディナーがLSOレーベルではじめたチクルス収集を開始(まだ1枚しかゲットできてない…)。



スウェーデン王立空軍軍楽隊による「STRIKE UP THE BAND」と題された行進曲集に関しては、「ボギー大佐」のひとり聴き比べ大会の結果、堂々の第一位となった演奏を収めたアルバム。や、これマジで良いのです。

2016/12/31

【オレコードアカデミー2016】新譜・旧譜関係なく今年出会ったもの部門②







ジョナサン・ノットについてはこちら参照。東響とライヴ録音したブル8は試聴だけして一旦パス。EXTONの音はやっぱり相性が悪い、、、。今度ユンゲ・ドイチェ・フィルとのブル9が出るようなので、そちらはゲットするつもり。



フンランソワ=グザヴィエ・ロトの新譜も毎回チェックが欠かせません。やや食傷気味だったリヒャルトもロトの棒ならペロリといけます。中古屋でばったり出会ったビゼー&シャブリエ作品集、プーランク&ラモー&現代作曲家(穏当な作風の…)もすかさずゲット。レ・シエクルとはショパンのピアノ協奏曲の録音があるようですが、未だ出会えず。




いまやDENONが誇る二枚看板、バッティストーニと反田恭平は今年も新譜が出ました。

バッティストーニは粗さを感じることもあるとはいえ、やっぱり面白い。ドゥダメルが出てきたときのワクワク感あり。

来年チャイコフスキー第5が出るはず。

しかし、イタリア国立放送交響楽団の起用はちょっと疑問。反田恭平との協奏曲アルバム聴く限り、東フィルで全然良かったのでは…。RAIが悪いというより東フィルが充実している。まぁバッティストーニのキャリアアップ的にはいい話かもしれませんけども。

東フィルとは「題名のない音楽会」でも名演を聴かせたレスピーギ「シバの女王ベルキス」をぜひセッションで収録して頂きたいもの。




モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」ヤーコプス盤は何故か買いそびれていたもの。遅まきながらゲットしましたが大満足。

フライブルク・バロック管弦楽団のJ・S・バッハについてはこちら参照。

【オレコードアカデミー2016】新譜・旧譜関係なく今年出会ったもの部門①




徒然に。

ここ数年、私のクラオタパワーを牽引する存在だったパーヴォ・ヤルヴィ熱は一段落。

別に嫌いになったとかではなく、ブルックナーチクルスを展開しているhr響があんまり好みじゃないので収集停止、R・シュトラウス作品は満腹感があるのでN響とのチクルスも収集停止…という判断をしたため、個人的な新譜は実質ドイツカンマーフィルとのブラームス第2のみ。

しかしドイツ・カンマーフィルとの録音はほんとに外れがありません。ブラームスは最近あんまり聴かなくなってきているのですが、ブラ2・大祝・悲劇的序曲と、どれも超絶名演で最高に楽しめました。続編もめちゃくちゃ期待大だし、ピアノ協奏曲とドイツ・レクイエムもドイツ・カンマーフィルとのセッションで再録音して欲しいもの。

尚、フランス管弦楽曲集はまだデビュー間もない頃の旧譜(ポートレートにはまだ髪の毛が…)。

それにつけてもパリ管弦楽団とのコンビ解消はとても残念。次にパーヴォがパリ管クラスのオケのポストを得るのはいつになるやら…。



ここ最近注目している若手指揮者では、まずフィリップ・ジョルダン。ウィーン交響楽団とのシューベルトがこれまたお気に入り。この指揮者の音響バランスが妙に好みに合うのです。管の動きがこれ見よがしでないのにパリッとしていて、見通しがいい。パリ国立歌劇場O.共々、ばんばん録音活動を広げて欲しいマエストロのひとり。

ガードナーもCHANDOSで好調に新譜を出してます。つか、今回挙げたのは旧譜ですが…。それにつけてもブリテンの劇的カンタータ「フェードラ」が名曲の名演で超どはまりしました。



クルレンツィス&ムジカ・エテルナがコパチンスカヤと組んだチャイコフスキーは、個人的に前作「春の祭典」以上に楽しめました。インタヴューによれば既に悲愴は収録済みで、ベートーヴェンにも取り組む予定だとか。これも引き続き楽しみなコンビ。



着実に実績を積みつつあるフルシャは、オレコードアカデミーで挙げた若手・中堅指揮者の誰より地味ではありますが、もしかしたら実力は随一かもしれない、と思うほど。はったり一切なしで堂々と王道を歩む感じが貯まりません。バンベルク響との録音も開始されたので来年以降も要注目。



ホス・オキニェナ、リュビモフはこちらこちらを参照。

2016/12/18

【CD聴くべ】ストラヴィンスキー/サティ:ピアノ連弾のための作品集(リュビモフ/ポプルジン)

イーゴリ・ストラヴィンスキー『協奏曲 変ホ長調 「ダンバートン・オークス」(4手ピアノ編)』
(編曲 : イーゴリ・ストラヴィンスキー)

エリック・サティ『ソクラテス(J. ケージ、G. シモナッチによる2台ピアノ編)』
(編曲 : ジャンカルロ・シモナッチ、ジョン・ケージ)

イーゴリ・ストラヴィンスキー『2台のピアノのための協奏曲』
IV. Preludio e fuga

エリック・サティ『シネマ - 「本日休演」のための幕間音楽』
(編曲 : ダリウス・ミヨー - Darius Milhaud)

アレクセイ・リュビモフ - Alexei Lubimov (ピアノ)
ヴャチェスラフ・ポプルジン - Viatcheslav Poprugin (ピアノ)
録音: 16-18 June 2015, Doppsgezind Lerk, Haarlem


以前、ホセ・オキニェナのサティ作品集の頁でも言及したリュビモフのストラヴィンスキー/サティの連弾集。

私は「本日休演(ルラーシュ)」のため幕間の音楽に妙なフェティッシュを感じておりまして、リュビモフが同曲を演奏しているゾということで惹かれた一枚。

…だったのですが聴いてみたらこれが収録曲すべて最高の超名盤。

リュビモフの録音を特別集めている…とかってことはないのですが、ベートーヴェンの後期ソナタ集とか、時折悶絶するほど好きになる録音があるので、チェックが欠かせません。




これまで退屈することがサティを聴く目的であり魅力でもあると思っておりましたが、当盤におけるフォルテピアノとプリペアドピアノの響きはたいそう気持ち良く、これまでの退屈さは楽器の響きのせいだったか?!と思い直しかけた程。

…や、結局退屈はするんですけどね。

てゆうか、サティも素晴らしいのですがこのアルバムを名盤たらしめているのは、同じくフォルテピアノで聴くストラヴィンスキー作品です。

わたくしめ何だか最近、三大バレエだけでなくその作風の変遷含めてストラヴィンスキーのことが妙に好きになって来ているところでして、それもこのアルバムのラブ度が上がった要因かもしれません。



今年(2016年)はサティ生誕150周年で、嬉し恥ずかしアニバーサリーイヤーでしたが、私にとってはこのCD1枚でお釣りが来ようというもの。




2016/11/27

【CD聴くべ】ドヴォルザーク交響曲チクルス(チチョン盤)

独ヘンスラーレーベルが進めている、カレル・マーク・チチョン&ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団(長っ!超長っ!ええいお前なんか以下、ザ管だ)ドヴォルザーク交響曲全集は、完成を強く願っているチクルス。

天下のドヴォルザークといえども、さすがに交響曲の「全集」となるとほぼチェコ圏の楽団の専売みたいな状況で、それもまぁ悪くないのですが、洗練され聴き慣れてもいる7番以降はともかく、田舎臭さの抜けない1~6番こそコスモポリタンな演奏で聴きたいと常々思っておりました。

アナログならケルテス&ロンドン響、クーベリック&ベルリンフィルという金字塔がありますが、正直録音が古過ぎ。

そんな渇を癒すかの如くに開始されたのが、ドイツの放送局オケと働き盛りの中堅指揮者との当全集です。



ザ管はスタニスラフ・スクロヴァチェフスキとの名演の印象が強い旧ザールブリュッケン放送交響楽団の流れを汲むわけですが、ミスターSと聴かせた堅実で引き締まった質感は健在。

チェコ圏を除くヨーロッパのオケにとって、ドヴォルザーク演奏は結構難儀な代物らしいと伝え聞きますが、そのおかげか、けしてルーチンでないソリッドな演奏になっており大変聴き応えがあります。

比較的知名度のある6~9番と併せていくのではなく、1番、5番、3番&4番と、マニアックなところからリリースする辺り、かえって本気度を見る思い。

チチョン盤に限った話ではありませんが、ドヴォルザーク7番以前の交響曲はマニアック過ぎるので正直広くお勧め出来るものでもないのでしょうが、洗練された才気と異様な田舎臭さが楽章ごとに、あるいは楽想ごとに入れ替わる感じは独特の世界感です。

比較対象が多い7番以降の演奏がどのように聴こえてくるか、楽しみであります。


2016/11/02

【CD聴くべ】ルトスワフスキ作品集(ウルバンスキ盤)他

クシシュトフ・ウルバンスキによるルトスワフスキ作品集。初期を代表する2曲と、晩年の1曲を収めた2016年の新譜です。


オケコンと小組曲は近代クラシック管弦楽作品として大変楽しい曲。とくにオケコンは個人的にも好きな曲。学生時代、都響で実演も聴きました。

交響曲第4番についてもルトスワフスキの代名詞「アドリブ」は比較的控え目な曲だったと聞きかじっております(確かめたわけではありませんで)。その意味ではルトスワフスキの、どちらかというと前衛音楽でなくクラシック系統の曲を集めた1枚です。



ちなみに私にとってのルトスワフスキ後期作品群は、「部分的にアドリブが入ってる曲ですよ」と知って聴くのと知らずに聴くのとではかなり印象に差が出る音楽です。きっちり書かれた曲として聴こうと思うと、いまいち掴み所がないからです。

ある種の前衛作品のように徹底して何も起こらないと言うならまだ掴めますが、それにしては饒舌な音楽ですし、そもそも響き自体が伝統的なクラシック然としており前衛的には聴こえません。



誤解なきよう強調しますが、前衛的なら良いとか悪いとかいうポジショントークをしたいわけではなくて、前衛非前衛問わず聴き手は何かエッジを探してフックしないと音楽に入り込めないという話です。

掴み所がない(それを最も極端に言い換えると「これは音楽ではない」となりましょう)という印象には、枕詞として「印象的なメロディがないと/ビートがないと/コードがないと/ノイズがないとetc.」という暗黙の省略された前提があるはずで、それこそ聴き手がフックできる/したいエッジが奈辺にあるかの謂いというわけです。



果たして、adlib動律・チェーン形式の時期のルトスワフスキ作品は、「こいつアドリブ使ってんゾ」と分かって聴けば私にとっては途端にフックします。これは一時期「即興」と俗に呼ばれるシーンのライブに通っていた賜物。

合図があるまで、ある程度決まった範囲のフレーズを(←ここ重要なとこ)各奏者がてんでバラバラに演奏する箇所があるんですよ、と知って聴くだけでイイ感じで聴けてしまいます。例えば大友良英さんの大規模アンサンブル作品でたびたび使われる手法のクラシック版として聴けば良いわけです。

またその経験値があるため、きちっと決まった楽想(ジャズでいう「テーマ」)を演奏している箇所とアドリブの箇所は、大雑把に「掴み所のなさ」みたいな基準で感覚的に聴き分けられる気がしています。

交響曲第4番辺りは結構頻繁に入れ替わっている/あるいは混在…アドリブやる人と、キューかなんかで記譜されたフレーズを演奏する人が混在する時間帯があるように聴こえます。

まぁスコア見たわけでもないから印象論に過ぎませんが、別に合ってなくても聴いてる分には全然問題なし。要は音楽に入り込めればよいのです。



いざ聴く段では「テーマ」パートは通常のクラシック音楽と変わりませんので、普通に聴けばよろしい。クラオタ的な意味において普通に。

件の「掴み所ない(アドリブ)パート」は意識を弛緩させて全体の響きにウットリするもよし、意識を緊張させて特定の楽器・奏者の音にぴったり集中するもよし。そうすることで聴き手の意識次第で作品の質を(擬似的に)コントロールすることさえ出来ます。

かくして「管理された偶然性」は、演奏だけでなく聴き方においても適用されるというわけです。



私の場合そんな風にイイ感じで即興の実演を楽しんでたので「ああ。あの感覚か」とスイッチを入れられます。逆にそういうスイッチを持ってない人が、一体どのような感覚でルトスワフスキを聴いているのかちょっと想像がつきません。

確か片山杜秀先生は「高倉健のヤクザ映画(自分不器用ですからと耐えに耐えた挙句最後に死地に赴いてクライマックス)」「木枯らし紋次郎(あっしには関わりのねぇことでござんすとニヒルな態度をとりつつ最後は玄人好みの殺陣で渋く勝って終わる)」辺りになぞらえていたはず。

私はそういうイメージ先行だとあんまり音楽に入り込めないのですが、ルトスワフスキに関しては(仮に即興音楽的に聴くのでないとすれば)無理にでもイメージを作らないとやっぱり聴き通せないように思われます。それだけ「掴みどころがない」気がするのです。もっと訳がわからない現代音楽の方が掴み易い。



ただし上述の即興音楽的聴き方は、応用出来「過ぎ」ちゃうところがあって、掴みどころのない音楽一般を即興音楽スイッチ入れるだけでそれなりに聴けちゃったりします。

なのであんまり慣れ過ぎるのもグズグズになって良くありません。原理的に玉石混交状態を批判できなくなるからです。即興音楽的聴取はある種の解放と癒しではあるのですが、長じて欠点にもなるというわけです。

これは聴き方の話で、後期ルトスワフスキ自体がグズグズとかって話では必ずしもありません。まぁちょっとそれもあるんですが。。。





それにつけても、ルトスワフスキは演奏者に恵まれまくっています。オケ物に絞って、直近パッと思いつくだけでも

☆アントニ・ヴィト&ポーランド国立放送so

☆アレクサンダー・リープライヒ&ポーランド国立放送so

☆エサ・ペッカ・サロネン&ロスフィル

☆エドワード・ガードナー&BBC響

☆サイモン・ラトル&ベルリンフィル&クリスティアン・ツィメルマン

☆バレンボイム&シカゴ響

と並びます(他にもビッグネームがいくつかあったような)。他の作曲家にリソースを少し分けて欲しいくらい絢爛豪華。

「個々の演奏内容としては技術的にも語法的にも慣れ親しんだものである」且つ「がっちがちに決まっている有形無形の統制を部分的に解除して<自由>に振舞う愉しみが味わえる」というルトスワフスキ作品は、クラシック演奏家にとって魅力的なのかもしれません。



問題は、ルトスワフスキがアドリブ向けに選定した音自体が穏健なこともあり、だいたいどれ聴いてもイイ感じになってると想像がついちゃうことでしょう。現代音楽を聴くワクワク感が相対的に薄い。

そのためルトスワフスキは、全集やチクルスを集めたり聴き比べたりしてもあんまり満たされ感がなくてマンネリ化しかねないな、と思います。

そうではなく(好みとか巡り合わせとかまぁきっかけは適当で良いにせよ)ともかく「これ!」といった一枚を据えて、とことん愛でるし髄までしゃぶる、という聴き方を推奨します。

そんな私にとって目下愛でる対象となっている一枚が、今回のウルバンスキ&ハンブルク北ドイツ放送響盤というわけです。



なんつったってウルバンスキには注目せざるを得ません。

ここ2~3年関東圏のコンサートゴーアー中心にその才気溢れる演奏が注目され、この人将来大物になるんじゃね?!と言われておりましたが、ベルリン・フィル・デビューしたって話を聞いたかと思えば、あれよあれよとハンブルク北ドイツ放送交響楽団(NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)の首席客演指揮者になっちゃいました(2016年現在)。すげー。

ウルバンスキは私にとってのスターのひとりアントニ・ヴィトの薫陶も受けた(どんだけの間柄かは分かりませんが)とのことで、そういう意味でも贔屓目に見ちゃいます。



演奏は流麗にして怜悧玲瓏。根性とか勢いみたいな生硬さから遠く離れているのはもちろん、通り一遍な形容だけで片付けられない「何か」がある不思議な感触。ルトスワフスキが、洗練されつつ霊感を漂わす優れた古典派のようにさえ感じられます。

このような現代音楽演奏、一歩間違えば迫力不足・刺激不足といった不満にも繋がりそうなものですが、そうはなっていません。ウルバンスキ・マジック。

これ見よがしなものがあるわけでないのにひとりだけ何かが僅かにずれていて、その人だけ周囲からぽっかりと浮かび上がるような存在感。これは半ば妄想なのですが、ウルバンスキという指揮者は、感覚がソリストみたいなのかもしれません。

総譜が頭に入っていてリハも本番も暗譜で指揮するとか、やっぱそれって単に記憶力とかって話ではなくて、センスがソリストに近いなのかな、と。確か、実際ソリストが居てすり合わせが必要な協奏曲ではスコアを使うこともあるらしいですし。

そうした芸風が必ずしも演奏効果に直結するとは限らないかもしれません。またオーケストラ・ビルダーとも言えないでしょう。

しかし、大スターの堂々たる名演奏より、何故かウルバンスキの演奏に惹かれてしまう…。そんな音楽家になる可能性を秘めています。
(試合の勝ち負けと関係なく、何気ないトラップ・パスに感動させられてしまう小野伸二のプレーのように?)



もっとも、このCDから聴かれる名演はウルバンスキ云々だけでなく、ハンブルク北ドイツ放送響の反応の良さと上手さに拠るところ特大。ビビットでありつつ落ち着いた風格もあり、名門の面目躍如。セッション録音であることを差し引いても、ヴァント時代よりも更にレベルアップしているように感じられます。

ちなみにハンブルク北ドイツ放送響団員さんのTwitterによれば、最近R・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」「ドン・ファン」を収録したとのこと。

リヒャルトとか名盤名録音ばっかだし曲の味も濃いしで十分満腹ですのでもう結構(贅沢)と思ってましたが、こりゃさすがに聴かないと。




正味な話、現音楽監督ヘンゲルブロックよりウルバンスキとの相性の方が良いのでは…と余計な妄想まで浮かんで参ります。

少々不遜な物言いとなりますが、トーマス・ヘンゲルブロックは好きな指揮者とはいえ、ハンブルク北ドイツ放送響との録音からは例えばアリス=紗良・オット&ミュンヘン・フィルとの協奏曲録音ほどのケミストリーが感じられない印象があります。

メンデルスゾーン第1とシューマン第4を組み合わせた一枚は「最っ高!」でしたが、後続の録音はそれを越えられていないような隔靴掻痒の感あり。

完成度が低い等と言うつもりは毛頭ありませんが(むしろ高い)、ハンブルク北ドイツ放送響という集団のポテンシャル・漠然と志向するベクトルみたいなものと、ヘンゲルブロックのそれとが微妙にズレているような感触があり、時を経るごとにそのズレが目立って来ているというか。

いやいやそんな評価は的外れだよ、ヘンゲルブロックと同オケは蜜月だよ、たまたま聴いたCDとてめぇの相性の問題だろ主観の相違だよ、というなら全然良いんですけども。ええ。

いずれにせよ、実演で取り上げたというブラームス「ドイツ・レクイエム」とかメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」こそ録音して欲しいレパートリーなこともあり、既出録音曲目と私の相性って話かもしれません。

「ほ~ら巨人のハンブルク稿だよ!」と言われても「お、おう」という反応しか出来ない私でして。






P.S.

オケと指揮者語りということで、ちょっと話に出したミュンヘン・フィルについて。

このオケこそ、チェリビダッケ以降の指揮者人選が謎。

(好きじゃないけど気持ちは分かる)ティーレマンはともかく、レヴァイン、マゼール、ゲルギエフ…。

相性が特に良さそうにも見えない不健康ヤンキー(レヴァイン)⇒ドイツ国民の期待を一身に背負いそのまま片っ端から背負い投げするトラブルメイカー(ティーレマン)⇒高齢の元バイエルン放送響指揮者(マゼール)⇒パワフル且つカリスマティック且つ少々雑にタフなスケジュールを右へ左へ片付けるスーパーマン(ゲルギー)。。。

ミュンヘンの双璧たるバイエルン放送響・首席指揮者ヤンソンスに伍する人気・実力兼備のスターを招聘したいのかもしれませんが、それにしたってちょっと節操がないというか戦略が見えないというか…。

そのバイエルン放送響がクーベリック以降、コリン・デイヴィス/マゼール/ヤンソンスとほぼ10年単位で実力者を繋ぎ着実に露出と国際的地位を高めてきた一方、実力伯仲のはずのミュンヘン・フィルはどうも後手に回っているように感じられて仕方ありません。


健康問題などの巡り合わせというか結果論なのかもしれませんが、結局チェリビダッケと、Profilレーベルから綺羅星の如き名演ライヴが出ているギュンター・ヴァントの巨大なイメージを塗り替えられないオケではあります。


音源リリースも開始されたゲルギエフとのケミストリーは確かに気になるところですが、彼が腰を落ち着けてひとつのオケとじっくり仕事をするとは思えませんし…。

ドイツ各地のオケで頭角を現した中堅所(ヘンゲルブロック、マルクス・シュテンツ、インゴ・メッツマッハー辺り)を頭に据えるオケではないのかもしれませんが、ならばバイエルン国立歌劇場での実績があるケント・ナガノなんかと一緒に10年くらい掛けた密な活動を聴かせてもらいたい…そんな気持ちを抱かずにおれません。あたら名門の活躍が海を越えて聴こえてこないのは物足りませんで。


2016/10/24

【CD聴くべ】フライブルク・バロック・オーケストラのJ・S・バッハ2題

突如フライブルク・バロック・オーケストラのJ.S.バッハにはまりました。

少し(否、だいぶ)前に2つのタイミングがたまたま重なり、急にバッハづいた時期があったのがきっかけ。

ひとつは菊地成孔さんのラジオ『粋な夜電波』において熊本地震を受けて急遽組まれた特集「心身の深い呼吸と快眠を取り戻すための音楽を選曲」の中でブランデンブルク協奏曲第1番BWV1046が選曲されていてそれが凄くグッと来たこと。もうひとつはTwitterでフォローしている shogo @akashoubin0565 さんがBMW1052の話題を上げていて無性に聴きたくなったこと。


しかし、ハタと気付くとこの有名曲2曲の音源が手元にありません(俺あるある。CD整理し過ぎて有名曲が意外と架蔵されてない。あー俺あるある言いたい)。




ならばよし、この際いろいろ聴き比べして厳選しよう、と思い立ちNAXOS MUSIC LIBRARYへ。

かねてよりバッハ作品の録音については、なかなか自分の好みど真ん中がどの辺にあるのか掴みきれず「まぁ基本的なレパートリーだし一組くらい持っとくか…」みたいな感じで適当に見繕っては「なんかしっくり来ないな」と整理・処分対象になって…を繰り返してきておりました。

そんな悪循環ライフにピリオドを。この機会に自分の中の旗艦盤を見つけるべし。うちてしやまん。



…つーかそもそも旗艦盤ってなんだよって話ですが「当該曲については最悪これ1枚キープしとけば自分の中ではOKと思えるもの」で、コレクションや聴き比べをする際の基準点のようなものです。

ちょっと分かりづらいですが、それを基準に良し悪しを判断しようというのではありません。

旗艦盤のテンポよりも早い演奏を探してみようとか、もうちょっと管打が前に出てる演奏はないかとか、解釈面での差異の基準とするのがまず第一。

更に、気になるけどまったく情報がない盤を見つけたとき「旗艦盤があるから安心して冒険してみよう」と考えたり、逆にリソース不足により物欲に待ったを掛けるために「俺にはあれがあるじゃないか」と思い出すとかいった、そういう位置付けでもあります。

他のクラオタ諸氏はどうだか分かりませんが、自分の場合は旗艦盤をなるはやで見つけることで、欲望と有限な資源(情報・時間・お小遣い)とのバランスを取っています。




いずれにせよ、買うものを決めるためにストリーミングを利用する…これぞ音楽ファンの嗜みであります。

手当たり次第に聴いてみて(といっても、デジタル録音縛り、出来れば90年代以降縛りは目下継続中)両曲共にフライブルク・バロック・オーケストラ音源がビンゴ。

彼らのJ.S.バッハ録音はここ数年ハルモニア・ムンディから継続的にリリースされておりますが、そのどれもが絢爛豪華な音で鳴っており大変素晴らしい。




今回聴き比べてみて、J.S.バッハ演奏に関する自らの嗜好がなんとなく把握できた気がします。

すなわち「古楽器のゴージャス路線」。

さすがに「バッハはリヒター、グールドに限るゼ」というほど感覚が古風ではありませんが、さりとて古楽プロパと呼べるほど親しんでいるわけでもなく…。

そこで古楽器使ってゴージャスに仕上げて頂くとなんとなくしっくり来るような気がするわいな、と。

思えば、大のお気に入りのマタイ受難曲ヤーコプス盤も、ざっくり言ってみればそのカテゴリな気がします。なんとなくですけど。ええ。



ともかくフライブルク・バロックo.の演奏はフレーズごとの減衰があまりなく、頭から尻尾までアンコ詰まってる的にビシーッと鳴り響く豪華さも満喫できます。

これはハルモニア・ムンディの録音に拠るところも大きいかもしれません。めがっさ骨太。

どこかの惹句にフライブルク・バロックo.は「古楽界のベルリンフィル」とかってのがあった気がしますが、イメージ的にはなんとなく分かる気がします。上手くて分厚い、というイメージ。
(もっとも、最近のベルリンフィルに響きの分厚さのイメージはあんまりないですけどね…)




ブランデンブルク協奏曲はなんといっても第1番。

(今回のきっかけになった)「粋な夜電波」でも1楽章が取り上げられていたのですが、これがまたホルンがぶっぱぶっぱぶぱぱぶぱぱ(酷い表現ですけどまさに「ぶっぱ」)鳴っててめっちゃ楽しい。



ですが、今回入手したもので言えばアンドレアス・シュタイアーを独奏に迎えたチェンバロ協奏曲集によりお熱(死語)。

曲もブランデンブルク協奏曲より好みってこともありますが、オケだけでなくチェンバロの録音も強烈でエッジ立ちまくり。超快感。癖になります。

アンドレアス・シュタイアーはゴルトベルク変奏曲の録音もよさげなので、そのうちゲットすべくロックオン。
(ウィッシュリストに入れただけともいう)



2016/10/17

【CD聴くべ】菊地成孔 オリジナル・サウンドトラック「機動戦士ガンダム サンダーボルト」

オリジナルサウンドトラック…に相当しますが、いわゆる劇伴ではなく、主役の登場人物にしてライバルの2人が愛好する音楽(片やジャズ、片やオールディーズポップス)を再現したもの。

ジャズに関して、原作コミックではジョン・コルトレーンなどが想定されていたようですが、「いまの人の耳には、コルトレーンとオールディーズでは音楽的コントラストが意図したほど感じられない」との菊地成孔・音楽監督の提案で、フリージャズに変更されています(ラジオ「粋な夜電波」情報)。

菊地さん流石の慧眼。

ライバルふたりを軸としたあらゆる対比/コントラストが製作サイドのテーマでもあったことから、是非なく採用されたとのこと。この辺は音楽に一家言が全然ないスタッフであったことが吉と出たように思います。そこいらのジャズおぢさんではパブリックイメージに引き摺られて、かようなナイス判断ナイス採用にはならなかったのではないかと。



そのような経緯もあり出来上がった本作は、前半フリージャズ・後半擬似50年代オールディーズポップス、というコンセプトアルバムに仕上がりました(なお、楽曲はすべてオリジナル)。

件のラジオでは、発注ベースとはいえ物事が良い方にローリングした仕事だった、と回想されていましたが、これはほんとオススメ。



前半はポリリズムフリージャズ。

パッと聴き「何が起こっているか分からない」マジカルな瞬間が続きますが、その実徹頭徹尾理知的にコントロールされているという硬質さも横溢しています。最っ高にカッコイイ。意味不明だけど出鱈目ではない(ほんとは意味不明でもないんですけど)。これぞクール。

ちなみに、このジャズパートは大西順子さんの実質2016年再々復帰作でもあります。

つかこのアルバムのすぐあと復帰アルバム「Tea Times」が菊地成孔プロデュースで出たわけですが、村上春樹も小澤征爾もうっちゃって菊地成孔プロデュースで復帰するって、クール過ぎて震えます。ガクガク。




後半はフェイクオールディーズ。

歌い手は、菊地組常連ボーカリストと、50年代のポップスで使われていた英語の発音が出来る人、という発注によって集められた精鋭揃い。めちゃくちゃスウィート。

こんな甘いナンバーに乗せて、兵士たちが殺し合いグチャグチャになって死んでいく凄惨な戦場が描かれるとのこと。現実/リアルとはまさにこのことだな、と妙に得心が行きます。アニメ的リアリティがメガ粒子砲で吹き飛ぶ素晴らしさ。



いずれにせよこのアルバムは

「フリージャズ音源とオールディーズ音源を前半/後半で振り分けたコンピレーションというジャンルは隆盛を極めた」

みたいな偽史的な認識違いを催してしまう(が、そんなものは存在しない)名盤。



しかも最後には松尾衡監督の追加発注で作られたというdCprG「RONALD REAGAN」の別バージョンまで付く豪華仕様。

dCprGまで入っているので、図らずも「主にジャズ・洋楽方面からアプローチする青少年のための菊地成孔道楽入門」的なアルバムに仕上がっちゃったかもしれません。

まぁ、直近の活動で粗く見積もってもHIPHOP方面&ペペ・トルメント・アスカラール方面が、ちょっと前だとスパンクハッピー方面が、それぞれごそっと抜けてるので、これだけだと到底物足りないんですけども。



2016/10/04

【CD聴くべ】オルフ「カルミナ・ブラーナ」(プレヴィン&ウィーンフィル盤)

「再生環境変化に伴う魅力再発見」シリーズ。プレヴィン&ウィーンフィル「カルミナ・ブラーナ」。

・オルフ:カルミナ・ブラーナ

 バーバラー・ボニー(ソプラノ)
 フランク・ロパード(テノール)
 アントニー・マイケルズ=ムーア(バリトン)
 アルノルト・シェーンベルク合唱団
 ウィーン少年合唱団
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 指揮:アンドレ・プレヴィン

 録音:1993年10月、ウィーン(ライヴ)


カルミナ好きの故・宇野巧芳氏が、ヨッフム&ベルリン・ドイツオペラo盤と並び評価したプレヴィン&ウィーンフィル盤。

以前聴いたときは、なんだかパッとしないな~と思いそれっきりに。




聴き直してみようと思ったきっかけは、ちょっと前にも言及したLSO LIVEのブラームス「ドイツ・レクイエム」プレヴィン盤


もともと好きな演奏でしたが、新しい再生環境で聴き直したところ、ただでさえ魅力的なブラスの響きがパリッと再現され感激を新たにしたところ。



で、感激ついでに、とくに熱心な収集対象というわけではないプレヴィンになんとなく興味が湧き、早速EMI/WARNER、Universal系列音源を抱える桃源郷Naxos Music Libraryにレッツログイン。

端緒としてこの「カルミナ・ブラーナ」新盤をチョイスして聴きはじめたところ、深くのめり込んでしまったのです。

確か国内盤がSHM-CDで再発されていたはず、と返す刀で裂帛の気合と共にゲッツ(ポチッ)。まるで疾風だ!(俺・デア・シュトルム)。



「カルミナ・ブラーナ」プレヴィン新盤を遠い昔のラジカセ/ミニコンポ環境で聴いていた際は、ライヴ録音が悪い方向に出た、遠くてかさかさして迫力のない音だと思っていたのですが、現環境で聴くと生々しさとして響いてきます。

セッション録音の、林立するマイクでオン気味に拾った音を丁寧に編集して…という音ではありませんが、ホールの雰囲気を丸ごと収録した絶妙な録音に感じられます。

現再生環境は音の分離がいいので、そういうオフ気味の録音の真価をよく発揮してくれます。少なくとも、以前の視聴時の印象との落差が大きいのは間違いありません。



プレヴィン新盤は、なんといってもウィーンフィルの音が魅力的に録られています。

プレヴィンが志向する演奏自体、がんがん煽るタイプでなくウィーンフィル独特の音色を殺さぬように導く演奏であり、解釈とかなんとかって言うより楽器の音がいちいち楽しい。

バーバラ・ボニーを筆頭に声楽陣も魅力的。これはセッションでも結構バラつきが出るところですが、皆すばらしい。

オケ共々過剰演出優先で余計なことをするより、美しく歌い上げることに注力しているからでしょうか。





それにつけても今回、プレヴィン新盤の「解釈としてこれといった特別なことはないが、オケ・声楽ともに地の音が物凄く魅力的」な内容には、ほんとにガツンとしてやられました。

ああ、カルミナは<そっち>の曲だったのか!と急に覚醒。夜中にヘッドホンで聴いてて「あーそっかそっかそうだったか…」とほんとに声が出ましたね。正味な話。



折しも自分自身「カルミナ・ブラーナ」に食傷を感じていた矢先。

高校時代に吹奏楽版を演奏した縁もあり結構いろんなCDを聴いてますが、名録音・名演奏は多い割りにどれも行き摺りで、繰り返し聴いているものがどれ程あるかと言われると極めて微妙。

これまでずっと「カルミナ・ブラーナ」音盤は「どのような解釈、演出がなされているか」という視点で選んでいたのですが、それがそもそも大間違いで、実は解釈や演出が効果的でない曲だったとしたら。



腕っこき連中が手練手管で楽しませてくれる音盤に事欠かない曲ですし、この曲を前にすればそうしたくなる気持ちも分かります。実際のところ、プレヴィン新盤よりも演奏技術的にもっと巧く聴こえるし迫力や芝居っけもたっぷりな演奏はいくらでもあります。

しかし、それこそが罠であり、却ってこの曲の「魅力」に掣肘を加えていたのではないか。



カルミナ・ブラーナのその「魅力」を前近代的なプリミティブさと考えることはけして不自然ではないでしょう。

しかし、これはカルミナに限りませんが、西洋クラシック音楽(=世界史でいうところの近代以降の音楽)の範疇にある以上、「前近代的なプリミティブさ」は必ず捻じれ、ある種の欺瞞を伴って表れます。もはや洗練なき音楽は音楽ではないのです。

ボイレン修道院から発見された古い歌と簡単な旋律をネタにした、管弦楽・合唱・独唱・舞台の大編成を駆った強烈なリズムと反復に彩られたカンタータ。

このアイディアとコンセプトはかなりモダンで洗練されています。カルミナは「前近代的なプリミティブさ」をテーマにしたコンセプチュアルな作品といえます。



例えばジョン・ケージとかサティ辺りの一部作品やミニマル音楽の多くがそうであるように、コンセプチュアルな作品は「解釈」を加えたり「歌」ったりすると、演奏自体がどんどん立派になる一方、作品の真の魅力(他作品の演奏では聴けない/体験できない何か)がスポイルされることがあります。

プリミティブさをコンセプトレベルに昇華したカルミナを、演奏レベルで演出たっぷりにやってしまうのは実際のところコンセプトの逆回転であり、欺瞞ではなかったか。少なくとも洗練からは程遠い。

私が感じていた食傷とはその「野暮」だったのではないのか、と。



ここで比較していうなら、ロマン派作品演奏における演出はそれほど「野暮」にはなりません。それどころか、しばしば必要なものです。

ロマンとは「表現し得ないもの(パロール)を表現する」ことですが、これは端的に言って矛盾しています。少なくとも作品単体では成立しません。

そこで要請されるのが再帰的システムです。

すなわち、作品が印刷され大量複製されるスコア(エクリチュール)となり、高度に訓練された職業演奏家によって再現されることで、(これは私の造語なのでちょっとアレですが)「再パロール化」してその矛盾を補完すること。

もちろん再パロール化を経ても「表現し得ないもの」という属性は残り続けるので、原理的には無限に「異なる解釈」が要請され続けます。

「表現不可能性」を巡るコピーとヴィルトゥオーゾのアクロバティクで洗練された共犯関係。これこそ、ロマンを成立させる再帰的システムというわけです。

記録媒体としては不完全さが目立つ「譜面」というものが何故演奏家から神聖視されるかの答えもここにあります。

不完全だからこそ「無限の異なる解釈」を生む。再帰性は「書き言葉(エクリチュール)」のメディアとしての不完全さによってこそ駆動されます。

その視点で考えれば、作品や演奏の優劣を論じる「音楽批評」も、「異なる解釈」の無限の要請に呼応して発展したものと解釈できます。

ロマン派の音楽が、多くのヴィルトゥオーゾと批評(シューマンとかハンスリックとか)と共にあったことはけして偶然ではないと考えます。

メディアが十分に発達するのを待つことなしにクラシック音楽が全世界に拡大した遠因にも、ロマンが(しばしば指摘されるように資本主義と類似の)自己増殖する再帰的システムであったことが挙げられるでしょう。

例えば西洋が世界史のヘゲモニーとなったため文化も追随した、というだけでは、ロマンの怪物的な力を説明するには弱い。



然るに「カルミナ・ブラーナ」は、この文脈で言って、ロマン派的な作品ではまったくない。

オルフの実存とかあんま関係ない、コンセプチュアルな作品。

言い換えれば、無限の再解釈を再帰的に求めていない。

ゆえに演奏はスコアに忠実に、坦々とやれば良かった。

当然、差分/差異化は音色においてこそ最も発揮されることになる。

音色を楽しむためにはむしろ落ち着いたテンポ設定の方がよい。

プレヴィン新盤のテンポ設定は標準的ないし遅めで、ウィーンフィルの音が良く聴こえる。

ウィンナホルンにウィンナオーボエその他諸々、ウィーンフィルグッジョブ(サムズアップ)






…とまぁ、これがプレヴィン新盤を新しい再生環境で聴きはじめて数秒間で私の中に発生したユリイカのあらましになります。

おおフォルトゥナしらねぇよなんだよそれ。という大合唱がオスティナートを伴って聞こえてきそうですけど。

「待てよ、つまり、これからのカルミナは、音色により特徴が出せる古楽器がアツいってことなんじゃ!」という話にまで、私の中では特急で一気に行ったんですよねマジで。



古楽器による「カルミナ・ブラーナ」は現状インマゼール盤くらいしかないはずですけど、あれではまだ物足りない…。


古楽器プロパ団体の技術がかなり上がっている、古楽器演奏はちょっとテンポ早目になる傾向がある…といった要因もあるかもしれませんが、それだとウィーンフィルとその他オケの、現代楽器の種類別・演奏スタイル別の音色差の方がまだ大きいという状態になってしまいかねない。

この際、初演当時の音を再現する…等というオタメゴカシなコンセプト(そんなもん最早誰も気にしてないでしょ(暴言))はサクッと捨てて頂いて、音色の差異化のために古楽器使用をお願いしたいところです。

更に、民族楽器とか、曲想に合わせて類似楽器にいろいろ置換したり加えたりする…という導入でもいいかもしれない。

オーケストラのプリペアド・ピアノ化みたいな発想。



とまぁ、そんな妄想をどかんと炸裂させてしまうほど、新再生環境で再聴した「カルミナ・ブラーナ」プレヴィン新盤はまことに素晴らしい内容でした。

しばらくカルミナはこれだけで事足りるな。

2016/09/28

【CD聴くべ】マーラー交響曲全集(ノット盤)

ヘッドホンとプレーヤに続き夏前にイヤホンを新調し、再生環境への投資は一段落しました。
(totoとか当たって豪華なリスニングルームをも持つとかいったライフスタイルの急激な変化でもない限りは・笑)




ところで、それがどのようなものであっても、再生環境の変化に伴いそれまで聴いていた音源の評価が変わることは往々にしてあることです。

とりわけ私の場合、再生環境をいろいろ試してはその違いを楽しむというより、再生環境変化イクォール「解像度&高音再現力グレードアップのリニアなプロセス」でした。

そのため、自分の状況に限って言うならば「音源に対する評価の変化」はすなわち「すべての音源に対する評価のベースアップ」ということになります。

環境を変えて低評価だったものを高評価に転じせしむるという目的がはっきりした改善作業ではないので、結果的に聴き直したい/聴き直すべき音源が「原則全部」なのです。

言うまでもなくそれは無理な話ではありますが、それでも、十年前に比して未架蔵音源収集より手持ち音源を繰り返し聴くクラヲタスタイルに徐々に変わりつつあるのは、再生環境改善による全音源のベースアップ現象が一役買っていることは間違いありません。
(何も加齢・お小遣い制への移行による保守化だけが原因ではなくて…。まぁそれが主だとしても)



実際いまの環境なら、相対的に悪い録音、寸詰まりでもっさりしている音源でも、その限りにおいてのポテンシャルを引き出しちゃうので「これまで分からなんだ…こんな音も入っていたのか…(白目)」的に結構聴けてしまいます。




果たして、途中で買い集めるのを停止したり売り払ってしまっていた音源の魅力を再発見し、購入再開or買戻ししたパターンがチラホラ。

そういった音盤を自分の中で勝手に「再生環境変化に伴う魅力再発見」シリーズと名付けて自分の中でだけめちゃくちゃ愉しんでいます。




実は挙げればいくらでもあるのですが、その一例がジョナサン・ノット&バンベルク響のマーラー交響曲全集。




以前、5番を購入していまいちしっくり来ず、それっきりになっていたものを少しずつ集めました。

で、ほぼ集め終わらんとしたところでBOX化の情報入電。

ボックスはあまり好きじゃないので知っててもバラで集めましたけどね。物理CDはなるべくバラで出して欲しいところ。

(その意味でWARNER/EMIが進めている「ザ・コンプリート」シリーズのコンセプトには大賛成(マッケラス出して欲しいな~。ベートーヴェンとか)。国内盤再発シリーズは皆この方針でやって欲しいものです。)




もっとも、ノット&バンベルク響のマーラー再評価は、再生環境の改善だけではなく去年マーラーの交響曲を様々な演奏を聴いて充足した流れを汲むものでもあります。

たくさん聴いて満腹になったせいか(笑)、(少し語弊のある言い方かもしれませんが)より普遍的でニュートラルなセットを確保したら、それでしばらくマーラー音源を掘るのは打ち止めにしようという気分になったわけです。

しかし、言うまでもないことですが、聴き比べの遊興より「普遍的でニュートラルな音源」を見つける試みの方が、クラオタにとってはずっと難題であります。究極の問題といってもいい。



10年前ならブーレーズ、ベルティーニご両所いずれかの全集でフィックスしていたかもしれませんが、今やだいぶ古びて感じられます。

ブーレーズは複数オケを振り分けており全集としての統一感に難があり、また代名詞といえる「精緻さ」も今では必ずしもアドバンテージがあるようには思えません(それくらい、どこのオケも上手くなった)。

ベルティーニ&ケルン放送響盤は最右翼で、いまでも大好きな全集ですが、最新録音と比較すると音質面で分が悪い。20年以上前のライヴ録音で編集にもやや粗さを感じます。

双方とも価値が減じているとは露も思いませんが、時代は確実に進んでいる…というのもまたクラヲタとしての実感です。




そんな折に、東響監督としての高評価、スイス・ロマンド管弦楽団指揮者への就任ニュースなど、ノットに関する情報をネットで見ていて、ふとバンベルク響との全集の存在を思い出したというわけです。

これとてギラギラの新譜というわけでもないですが、いずれにせよ、いまの環境で聴けばおそらく以前の違和感はなくなっているのでは、と予想。

とりあえずNAXOS MUSIC LIBRARYで集中的に試聴してみたところ、予感は確信へ。

音質的にはCDよりも落ちるストリーミング試聴でさえ、至高の名演として聴こえてきます。以前の印象とはだいぶ異なり、ヘッドホン・イヤホン効果抜群であることを再確認。晴れて収集を再開した次第です。



全編テンポ感はオーソドックスで、アゴーギクやデュナーミクを強調するよりは、バンベルク響の落ち着いた音色をベースにした平明な表情。ドギツさのない自然な録音がその印象に棹差します。

一見穏当に聴こえますが、見通しの良い響きが終始徹底されており、またその地平における迫力はけして不足せず間然とする所がありません。聴き進める毎に深い感動に包まれていきます。

他を圧するドラマティックな山場をこさえて聴き手を惹きこむが如き手法は演奏・録音両面で使われておらず、スコアを浮き彫りにすることで聴き手を充足させる名演です。

それでいて極一部に聴かれるデュナーミクの強調が、マスに対してでなく弦や木管の内声部やスコアの細かい仕掛けを引き立てるために駆使され、これがまた超~新鮮。



他の演奏との比較という観点で、もしかしたらこれらの特徴がよく表れているのではないか、と思ったのが第8番。

千人第2部はめっちゃ良い曲ですが、たとえばCDで聴いていると、第1部の派手さ・豪奢さとの落差からか第2部冒頭で聴き手側の集中がぷっつり切れてしまうことがあります(私だけ?復活や3番の1楽章のあとにも似た状態になることあり)。

しかしノット&バンベルク響の演奏ではそういうことがありません。

第1部の発散するエネルギーに第2部のインテンシティが負けておらず、テンションの落差を感じないのです。

そもそもノットの演奏は、第1部のドラマを強調する演奏でもないため、聴き手的にも無理がありません。




8番をとりあえずって感じで取り上げましたが、全曲穴がなくて繰り返し聴いても胃にもたれず、それでいて聴くたびに発見がある。素晴らしい全集です。




あまりに素晴らしいので、ブルックナー第3とストラヴィンスキー作品集もついでにゲット。どちらも「な~してこれまで聴いてこなかったんだべ」と思うほど名盤。


やや話がアウトしますが、同コンビによるストラヴィンスキー「春の祭典」にて、終曲「生贄の踊り」終盤でヴァイオリンパートの動機をクッキリ浮かび上がらせて抜群の異化効果を醸している箇所(トラック14の4:03頃)がすごくナイス。

妙に不気味な感じが出ていて癖になってしまいます。一度知ってしまうとこれなしでは物足りなくなる程。

手持ちの音源でこの動機が明確に浮かび上がるように処理している演奏を探してみると、ロバート・クラフトのフィルハーモニアoとの再録音盤が一番はっきり聴こえたかな…。

というか、よく聴けばこの動機はどの演奏からも結構聴こえてたはず(もっとも、版の違いかもしれませんが、そもそも弦よりもホルンが強い演奏も多い)なんですが、恥ずかしながらノット盤でその魅力にはじめて開眼した、という気が致します。


今後ハルサイを聴くときはここにも注目していきたいと思ってマス。



こうなるとスイス・ロマンド管弦楽団との録音にも期待が高まります。

マレク・ヤノフスキとの全集がなければブルックナー録音を期待するところですが、流石にちょっと難しいかな…。

全集でなくてもいくつかピンポイントでやってもらえると嬉しいのですが。


2016/09/19

【CD聴くべ】ブラームスの交響曲より普通にシェーンベルク編曲のピアノ四重奏曲第1番が好き

加齢と共に段々ブラームスの交響曲を聴くのがしんどくなって来た今日この頃。ぁたしぃどうせしんどいなら交響曲よりドイツ・レクイエム聴きたいしぃ。的なそんなお年頃(そんな年頃はない)。


かつてどこかで目にした批評では、ブラームスは中年以降酸いも甘いもかみ締めてから染みてくる…みたいに書いてありましたが、むしろ年々苦手になってきている気が。

個人的には下世話な体力があるナウなヤングの方が楽しめる印象(て、書いてあるのもどこかで読んだことがある気がするな…)。

いずれにせよ、若かりし頃はいまいち食い足りなかったベートーヴェンやモーツァルトの底知れぬ凄さに慄然としてみたりして、そこでふと、ここ数年で整理された自らのライブラリを振り返ってみれば、ブラームスの交響曲のCDはほとんど残ってません。正味な話。

そろそろパーヴォ・ヤルヴィ&ドイツカンマーフィルのチクルスが出てくるはずで、基本的にそれだけ保持すれば良いや、今はそんな気分。




しかーし!シェーンベルク編曲のピアノ四重奏曲第1番オケ版だけは別。もっと頂戴もっと頂戴なのです。

個人的には幻想交響曲、ブル8、ハルサイ辺りと並んで、いくらでも新録音が出て欲しい曲のひとつ。…全部聴ける/聴きたいってわけじゃ全っ然ないんですけどね。

でも選択肢が増えれば増えるほど有り難い。




とりあえず、目下自分のライブラリでバリバリ稼動中なのは以下の3枚。

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・ラトル&ベルリンフィル

いまこの曲のCDを一枚だけチョイスと言われたら、ラトル&BPO盤が筆頭でしょう。技術・内容・録音と三拍子揃っており、入手もし易い。

勢いありキレありそんでもって重量感たっぷり。演奏者の名人芸とオケとしての迫力が遺憾なく発揮されており、言う事ありません。

各所から高評価を得た同コンビのブラームス交響曲全集よりも輪を掛けて良いように思います。演奏も録音も。

つか、ブラームスの交響曲より普通に(以下略)な私の耳には、ラトル的に「ほんとに!やりたい!のはこっち!でがす!」という演奏に聴こえます。
(んなわきゃない。。。。とは、言い切れないんじゃないかと思ってます。)



ラトル&BPOコンビによる録音は近年確変状態に入ったと好事家諸氏のもっぱらの評判ですが、キレッキレの当盤を聴くとその話も首肯できようというもの。

つか、私自身、なんとな~く追っかけの対象から外れつつあったラトルを「あれ、最近のサイモンちょっとヤバい(いい意味で)かも」と思い直した一枚がコレです。

コンビとしての円熟もあるでしょうが、ラトル自身海千山千のBPO監督を経て一皮二皮剥けた感あります。よくバーミンガム市so時代の方が良かったとかいう言われ方をしますが、今のほうがずっと良いと思います。



願わくは、この流れを汲んだ充実の活動を、ロンドン響のドンとして末長く繰り広げん事を。

BPOほど豪華絢爛ではないですがロンドン響も独自のLSOレーベルを抱えていて、なんならこれまで以上に活発な録音活動が展開できるはずです。

ラトル自身、より自由に自らのやりたいことを実現するためにロンドンに行くのだ、と期待(というかワクワク)しております。10年20年という単位でいろいろ残して頂たいところ。

まぁ自由にやって欲しいと思いつつも、個人的にはしがらみを離れて独墺系に取り組んで欲しい気も。

たとえば、ラトルの演奏ではマーラーよりブルックナーの方がずっと面白く感じるので、ブルックナーを積極的にやるとか。


ベルリンフィルと入れたレパートリーでも、ブラームス「ドイツ・レクイエム」なんかはBPOよりロンドン響のブラスで聴き直したい。

というのも「ドイツ・レクイエム」に関してはLSO LIVEのプレヴィン盤のブラスの響きがめっちゃ格好良くて、自分の中でハイティンク&ウィーンフィル盤と並んで双璧をなしており、その印象が強いため。




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・ヤツェク・カスプシク&ワルシャワフィル
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ベルリンフィルのように派手なスーパーオケ丸出し感はないですが、しみじみと巧い。

何より落ち着いた音色が魅力的で、この演奏で聴く1~3楽章の美しさ・充実感は筆舌尽くしがたいものがあります。

この曲はつい終楽章にトラックスキップしてワッショイワッショイしたくなってしまうのですが、カスプシク盤については前の楽章がとりわけ魅力的。ラトル盤などと比較すると別編曲と見紛うほどに朴訥。

もちろん終楽章も含めて滋味溢れまくってて風格もあり、ジプシー方面シェーンベルク方面へ突出してないグッドバランス。

全体に木目調とでも言いますか、温かく丸みを帯びた音。高度だけどギスギスしていない大人のアンサンブルが、その印象に棹差します。

それでいて響きは溶け合う一辺倒ではなくて各楽器・各パートの素朴な音色がちゃんと残っており、これ見よがしなところはないのに聴いていて満足感あります。あっさりに見えて結構ボリューミー(内容が)。



ワルシャワフィルといい、NAXOS90年代の快進撃を支えたポーランド国立放送soといい、協奏曲録音やラ・フォル・ジュルネなどで名人芸を聴かせるシンフォニア・ヴァルソヴィアといい、ポーランドのオケは優秀且つなんだか哀愁帯びてて良い感じです。

ショパンとかだけじゃなく、ルトスワフスキやペンデレツキやマーラー、なんならエドガー・ヴァレーズやらせてもどこかほっこりしますからネ。
(NAXOSのポーランド国立放送soのヴァレーズは何気にお気に入りの1枚。2枚ですけど。)

聴き比べに疲れを覚えたクラオタをも優しく癒す東欧の名門。素敵です。

(書いてて思いつきましたが、もしかしたら、ブラームスの交響曲全集もポーランドのオケの演奏だったらイケるかも?…正直記憶にないのですが、録音ってあったかな???)



ただ、このアルバムにひとつ難点があるとすれば、変なジャケット。

や。デザインは問題ないんですけど、ディスクの入れ方がオシャレ過ぎて最悪(笑)

一時期の坂本龍一アルバムでもあった形状ですが、固めの紙ジャケで、CDが中央の穴で固定されているんじゃなくて爪みたいな突起でCD下部だけ止めてあるもの。

CDをケースに詰めるパートのおばちゃんの面倒くさっ!という嘆きが聞こえてくるようです(想像)。

これ、入れるも出すも盤面に傷つかない方がおかしい形で、誰が得するのか皆目分かりません…。

ちなみにカスプシクはWARNERと録音契約があるようで、このシェーンベルク管弦楽編曲集のほかにもヴァインベルク作品集がリリース済み。同じようなジャケットデザインでね、ええ。

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・リュー・ジア&ノールショピング交響楽団


響きは軽量級ですがシャープで気持ちがいい一枚。

スパスパッと小気味よく進行し、オケもよく呼応してます。

同曲の録音で軽量級且つ小気味良い系って「ちょっとメジャーから外れた、国際的知名度はイマイチだけどなかなか優秀なオケ」+「売出し中の若手~中堅指揮者」の組み合わせに多い印象がありますが、その中でも最も成功している1枚だと思います。

オケの管打が結構パワフルなのと、透明度の高いBIS録音の功績も大きい。

(ちなみに、カスプシク盤の録音も超優秀録音。ラトル盤の録音が特別悪いというわけではないですがちょっと雑味を感じます。3枚を並べるとリュー・ジア盤とカスプシク盤の音の方がずっと綺麗に録れています。)


そして併録のラインスドルフ編曲の「4つの厳粛な歌」がカッコイイのです。「○○は~金持ちだ~」的な旋律ではじまるくせに(言いがかりではある・笑)

何気にエーリヒ・ラインスドルフって名編曲家。この他にもドビュッシー「ペレアスとメリザンド」、ワーグナー「パルジファル」、R・シュトラウス「影のない女」などの編曲があり、いくつかは録音レパートリーとして定着しつつありますし。






ブラシェン(←いろいろ面倒くさくなって最近自分の中だけでこの呼び名を使用中・笑)は近・現代音楽を得意とする指揮者中心に、取り上げられる機会がここ20年くらいで急激に増えディスコグラフィも充実しています。

即興風の演出やフレージングのアイディア、遊びを入れる気になればいっくらでも入れられる曲想なこともあり(演奏自体はかなり難しそうですけど…)、もっともっといろんな演奏が世に解き放たれて欲しいです。





2016/09/06

【CD聴くべ】シャルル・デュトワ

大人になるということは先人の老いや死を感じることであるな、と日々実感する三十路哉。

最近、中村紘子、ラウタヴァーラ、ペーター・ザードロ(まだ若いのに…)と訃報が相次ぎました。

自分(今年30代後半)の感覚からすると、彼らがスターとして直撃した世代は自分より上の方々だとは思いますが…。


もっとも青春時代に活躍を見聞きした先人たちの多くはその頃働き盛りな人でもあり、自らの加齢と等しく彼らへ落ちる年月の重みが死への漸近として表れるのは自然の理ともいえます。

とくにクラシック演奏家は一部のスーパースターを除けば、40~50代でようやく国際的に名を知られる…というような事も珍しくないため、かつて憧れた人たちの多くが人生の終盤に差し掛かっております。
(ソリストはともかく指揮者ともなれば尚更)

クラオタになって間もなく私のスターとなった指揮者のひとりシャルル・デュトワも、気付けばもう80歳です。


ちなみに、私にとって青春時代と結びついている演奏家たちというのはすなわち、90年代半ば頃にメジャーレーベルのベスト・シリーズのカタログに載っていた人たちであります。

私は1990年代に山形で高校吹奏楽入部と共にクラオタ化を開始したのですが、それは「お金なしタワレコもHMVもなしネットはもちろんなし」だったことを意味します。

情報源といえばレコ芸と音友ムック、新書(つか、これまた最近訃報を聞いた宇野功芳氏の著作)、そして何より国内盤のカタログでした。

ユニヴァーサル系(デッカ、フィリップス、ドイツ・グラモフォン)、東芝EMI、ソニー辺りのベスト・シリーズのカタログを毎日のように眺めては、自然と曲名や演奏家を覚えていったものです。

私のお気に入りはとくにLONDON/DECCA。ステレオ期より優秀録音で有名という謳い文句と、パリッと映える赤/青/白のロゴが妙に格好よく思えたものです。

そして、その中でも特に惹かれたのがシャルル・デュトワです。


デュトワは、吹奏楽レパートリーでもあるフランス・ロシアの近現代作品に定評があり、モントリオールsoを超一流クラスに引き上げたというストーリーが魅力でした。

当然当時も今も現役バリバリの演奏家ですが、田舎のクラオタ初心者高校生たる私が相対的に目にすることが多かった(宇野功芳氏ら「昔は良かった」型の批評家陣による)クラシック批評で一様に評価が高かったのも、ネガティブな印象を持ちにくかった要因のひとつと言えるでしょう。

ちょっと余談じみてしまいますが、初心者当時目にした批評のせいで培われた「当世の演奏は無個性になった云々」という現役演奏家一般に対する色眼鏡…というか聴き手への「呪い」が晴れるまで、かなりの時間が掛かりました。




さて、デュトワ&モントリオールso&DECCAという、解釈・オケ・録音が三位一体となった「透明且つ硬派」な演奏は本当に痛快で、無二の魅力を放っています。

デュトワはモントリオールsoを離れてからはめぼしい新録音がなく(目立つのはロイヤルフィルとのシェラザードくらい?)、もはや熱心に追いかける対象ではなくなりました。


また、かつてのDECCA録音でも、流れを重視し過ぎの上滑り系というか、つんのめり気味で食い足りない録音も確かにあるように思われます。

しかしそれでも、クラオタ遍歴を重ねてなお、未だにデュトワ&モントリオールso盤がファーストチョイスというレパートリーが自分の中にはあります。

今回取り上げたのは、未だに別の新録音でマイライブラリを更新出来ない、そんな録音群。




・プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」抜粋

私はプロコのロメジュリの前奏曲がことのほか好きでして、前奏曲が含まれていない組曲版はもう初っ端で物足りません。

デュトワ盤の絶美な前奏曲だけで丼3杯いけます。




・ショスタコーヴィチ交響曲第5番

タコ5に関しては、この録音の完成度はずば抜けています。

ショスタコーヴィチ演奏に求めている音色とかテンポ感とか、それは人それぞれでしょう。実際、ショスタコマニアにこの録音好きってのはあまり聴いたことがありません。

しかし、そういう人にこそ純粋に「演奏技術と録音の完成度」という観点で、もうほんとに、「それだけ」の観点で聴いて頂きたい名盤。

disる意図はまったくなく言うのですが、日頃ふるーいソ連時代のライブ録音とかを金科玉条の如く聴いておればおるほど耳が洗われて、曲に対する新しい見方を提供してくれること請け合いです。
(つか、かつての自分がそうだったから言ってるわけですけどね。ええ。)

ハイティンク&コンセルトヘボウo盤と似たポジションといえますが、録音が新しい分デュトワ盤をより推したいところです。




・チャイフコスキー交響曲第4番

大学時代に演奏した際のリファレンス録音。

いまの耳で聴くと録音・演奏共に更に硬派さが欲しいと思いますが(とくにテンポ感。もっとインテンポでやって欲しい)、それでも、これより良い録音にはまだ出会えていない、というのが本音です。

ティンパニが絶妙。「とめはね」が素晴らしいと言いますか。

何故かN響との再録音盤ばかり再発されますが、こっちもよろちくび。



・ガーシュイン作品集

交響的絵画「ポーギーとベス」と「キューバ序曲」、そしてこれまた硬派なルイ・ロルティとの「ラプソディ・イン・ブルー」は、ジャズっぽさ=ルーズさみたいな粗い印象論とは無縁の名演。

もっとも「パリのアメリカ人」はいくつかの部分でもうちょっと硬派に徹して欲しい箇所があるのですが。。

例えば14:55辺り、クレシェンドの頂点でティンパニ・ホルンが鳴り響く箇所でテンポ落として勢いを殺しちゃうところ。ここは一気に次部分へ進んで欲しい。

テンポの落差が欲しいなら、もっと前の14:15くらいからテンポを落としておいて(あとサックスのフレーズを強調して)、クレシェンドの頂点から次の部分への移行はインテンポ。で、そっからアッチェレランドというのが良いと思う。

つか、急激にテンポを落として…というよりフレーズを伸ばして欲しいのは13:22のトランペットソロの入りなんですけどね。

ここはアンドリュー・リットン&ダラスsoのDELLOS録音を参照。このやり方を一度聴くと他が物足りなくなります。リットン盤ほどではないですが、似た感じでやってるのはロイヤルフィルの自主製作盤くらいでしょうか。
(同じようになってる録音をご存知の方は是非ご一報を・笑)



・コダーイ作品集

「ハーリ・ヤーノシュ」はともかく、「孔雀」を良い録音で聴こうと思うとやっぱりこれかな、と。

イヴァン・フィッシャー&ブダペスト祝祭oの作品集は素晴らしいんですが「孔雀」が入っていないのが惜しい…。




・イベール作品集

これ以外にデジタル録音でまとまったイベール作品集となると、長らく佐渡裕&コンセール・ラムルーo盤のみ。最近ネーメ・ヤルヴィ&スイス・ロマンドo盤がようやく出たという状態。

佐渡・ネーメ両氏の芸風は私の波長と合わないのか、(イベールに限らず)「重く」「緩く」感じられて、どうしても他の録音が欲しくなります。テンポどうこうじゃなくって感覚的な問題なので説明が難しいんですが。

ラヴェル全集をこさえたブランギエやドゥネーヴ、個人的に超お気に入りのフィリップ・ジョルダン辺りにガッツリやってもらいたいところなのですが…。

まぁないかー。



ところで最近(2016年7月)、SHM-CDでいくつかのデュトワ音源が再発されました。

今回取り上げた音源もいくつか含まれており、イベール、コダーイ辺りはひっさびさの国内盤復活(自分が持ってるのはほぼ初出時の輸入盤)。

しかし、リマスタリングと再発を鶴首して待っているモントリオールsoとのチャイ4やエルガー作品集が抜けているので、個人的には画竜点睛を欠く思いです。
(しっかし、この2枚はなんだか再発されないなー…。)




閑話休題。

モントリオールsoとの録音がスタイリッシュなため、現代的でスマートな指揮者という形容をされることが比較的多いデュトワですが、実のところ彼は「古い」タイプの指揮者です。

オケに対して、鬼・ミリタリー・カリスマティクな接し方をする指揮者の(おそらくは最終グループの)ひとりで、同世代(1930年代生まれ)で有名な指揮者を並べてみても、比較的珍しいタイプです。

仄聞したところでは、モントリオールsoを名実ともにトップオケに育てた手法も、望むレベルに達していない団員を辞めさせたり、リハーサルやレコーディングで相当にプレッシャーを掛けたり、といったものだったとのこと。

(そう思って見ると、棒の打点がオケよりかなり早いタイミングでリードしていく彼のスタイリッシュな指揮姿も、冷酷にプレッシャーを掛けている様に見えてきます・笑)

そのようなやり方は現代ではほとんど通用しなくなっています。

ユニオンやマネジメントとの力関係という話以上に、いまはオーケストラの技術レベルが世界的・全地域的に底上げされ、指揮者の鬼・ミリタリーさを支えていた「オケ団員に対する技術・知識における圧倒的優位者」という関係性は、多くの場合成立しません。

その分、指揮者側の才能や情熱、正確さ・適確さ、アイディアの重要性はむしろ以前よりも上がっているとさえいえます。

また同じ理由から、オーケストラ側でも若い才能を起用してスターに育てたり、指揮者のアイディアに積極的に協力したり、といった姿勢の有無が「優れたオーケストラ」の条件にもなりつつあります。

かつて某超一流オケであったという、ペーペー指揮者相手に本番で急に違うことをやったり、そもそも言う事を聞かなかったり…といった逸話は、指揮者の圧倒的優位と表裏の現象と言えます。

しかしいま同様の話があったとすれば、それはオケの優秀さでなく、未熟さを示す話として聞こえてしまうでしょう。


いずれにせよ、00年代初頭にデュトワがモントリオールso団員と揉めて関係解消された時期辺り、ある意味で時代の節目だったかもしれません。

クラオタ的にも、その辺まではネット上に「鬼・ミリタリー・カリスマ」の時代へのノスタルジーを拗らせた御仁がわんさか居りましたが、その頃を境に急速に淘汰された印象があります。
(もっともそれは演奏現場の実態に聴き手も追いついてきた、というべきだと思いますが。)

先にも少し触れましたが、それは職業批評家も例外ではありませんでした。


今や、そのようなノスタルジー自体が歴史的なもの(メディア史・録音技術史的な意味で)であるという視点なしで「ヒストリカル音源」に向かい合うのは不毛な状況になっていると認識しています。クラオタの肌感覚として。

実際、フラットな視点で言って「明らかに過去の方が上」という価値判断は極めて難しい程に、クラシック音楽の現場は常にエキサイティングでした。それだけでなく、全体のレベル向上も進んできたのです。

とくに今日においてはその豊穣がメジャーレーベルによるCD製作や売上とは必ずしも連動していないわけですが、メジャーレーベルの動きが鈍い分、レーベルの意向に囚われない自主制作レーベルやネット配信が積極的に展開されているわけで、どちらの状況がより幸福かは正直微妙なところです。

理想は「どっちも活発」に決まってますけどね。



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